盆から先は〜♪


2011年8月16日

お盆も終わりました。最近はお盆と言っても通常の生活と変わらずですが。
季節ならではの、お墓参り巡り?をしてきました。
「子供の頃、お墓参りはご先祖様に願い事をすることだと思っていた」という
次男が「きっと、オレがお願いするたびに、『それはオマエが努力せんかい!』
と言われていたのかな・・・」と社会人になって気づいたらしい発言をしていました。

できないと思ったことも、他力本願でなく、できるようになることもあります。
もちろん努力してもできないこともあります。
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論文はどちらかというと、前者でした。
たぶん、この私に、達筆な水茎の跡も麗しい字で手紙を書け
と言われたら一生無理だったかもしれません。
論文というのは、自分たちがやっていることを
同じようなことに関心を持つ人たちに、知らしめる一手段でした。
まずは、知らせる内容=中身があるということから始まりです。
『中身』は自分たちがやっていることだったので問題ありません。
『中身』に加えて、社会背景や、社会に与える影響なども必要でしたが、
H社長や、K先生とのやり取りの中でご指導を仰ぎながら、仕上げました。
考察は苦戦でした。データから読み取れることだけを書くことに不慣れで、
K専務に「そんなことはこの結果では分からない!」と叱られました。
H社長からD社のエンジニアのOさんをご紹介いただき、
よく知らない土木分野のことを教えて頂きました。
査読(審査)では、文言の定義づけ(独りよがりの言葉になっていないか)、
通じていない場合は、言い直しをチェックされました。
発表は10分間。質疑応答があります。あわただしく発表当日を迎えました。
初めて参加した学会発表は、案の定、他の方の内容が難しすぎて
さっぱり分からず、途中で場違いな自分は帰りたくなりました。
いよいよ自分の番が回ってきたとき。私は、『余裕』を持って、
名前を呼ばれる前に早めに準備物を持って立ち上がりました。
息を吸って数歩踏み出した途端、司会の方が私の『一つ前の』方の
名前を呼びました。フライングでした。
行きと違って戻る場合はみなの顔と向き合うので、数歩が長く
席に着くなり、隣のK専務に「どうして止めてくれなかったんですか」と
小声で訴えると、「何か用事があるのかと思って・・」と言われ、
(あるわけナイヤロ!)と思いながら、それが幸いして落ち着きました。
こじんまりとした会場で、発表も質疑応答もスムーズでした。
他の方の、数万㎥の土の『挙動』や数式が飛び交う合間に、
土の隙間の微生物の呼吸の話を草花の画像などで行いました。
変な例えで言うと、高等数学の参考書に、絵葉書が
挟まれているようなちょっとした違和感でした。

希少な経験?


2011年8月11日

「論文」「学会」「発表」などの言葉は、すべて、普段の私の生活とは
異質なもので、イメージはどう考えても自分とは結びつきません。
思い余って、K先生の研究室に相談に伺いました。
初めて訪れた、歴史ある大学の建物は重々しく失礼の無いようにと、
気を張って行きましたが、あいにく週末で、建物入り口が施錠されていて、
先生をお呼び出しして、鍵を開けてもらうことになりました。


古い欧風の天井の高い部屋と、広い格子窓の前に先生の机があり、
横の壁に、大きな青色の濃淡のタペストリー(絨毯だそうです)がかけてありました。
私が尋ねたかったことは、要するに「私に論文が書けますか?」と
言うことでした。その単純なことをごちゃごちゃと話すと、
「そんなこと。私の知ったことではない。第一、『無理です』と私の口から
言える訳が無い」・・・とは、先生は言われませんでした。穏やかに、
ご自分の著書を書かれたときのことを例えに出しながら、
「とにかく分かりやすく説明してください。ただし査読(審査)があるので、
発表はそれが通過してからです」と言われました。
少しの四方山話の中で、先生が「実は私も若い頃微生物に興味がありまして・・」と
言われました。土木工学のご研究一筋の先生と微生物がどうしても結びつかず、
口癖でつい、「どうしてですか?」と聞いてしまいました。一瞬の沈黙の後、
つぶやくように、「変わっていたのでしょうなあ・・・」と応えられ、
愚問をした私が焦る場面もありました。
肩書きのイメージとは違ってとても気さくで人間味のあふれる方でした。
組織の肩書きの重さというのは、その世界に身を置かなければなかなか
分かりません。私のような、物知らず人間は、どうしても肩書きよりも
その人の人間性でしか印象を受けません。これまでの経験から、
組織での肩書きは永遠ではなく、いずれみな「その人の人間性」だけが
残っていくようです。もちろん、仕事でのさまざまな経験や知識も
ベースになるのでしょうが。
最後に残った人間性こそが、たぶんその人の魅力だと思っています。
結局、私が再確認したことは、自分が身の丈に応じて書くということでした。

稀少な体験?


2011年8月9日

世間に、「知る人ぞ知る」という言葉がありますが、
別の言い方をすると、「知らない人は知らない」と
いうことになります。私は「知らない」方の人間でした。
そうでなくても、私はとても狭い範囲で生きていました。
土や植物、限られた人たちとの接触、だけです。
「国の・・・」と言われても、イメージもわかず、遠い世界のようでした。
何だか分からないけれど、とにかくベストを尽くさなければ・・・と
悲壮な気持ちで資料を作っていました。前の晩はよく眠れませんでした。
当日、D工業関連施設内に作られた実験圃場を見に来られた
K先生は、とても背が高い先生で、「メガネの奥に真理がある」と
いう感じの方でした。
圃場や植物について、いくつかの質問をされて
それに対し、K専務や私が答えていました。
そしていよいよ室内でプレゼンをすることになりました。
カラフル画面で、画像も多く、その画像も動かしたり、重ねたりしながら
私流紙芝居風のパワーポイントで説明しました。
当時の資料を見ると、自分がいかに無理をして背伸びをしているのかが
よく分かります。あれもこれも詰め込んだ内容を一生懸命
説明しました。先生は静かに聞いて下さいました。
微生物の呼吸作用で中性化を促進するという、基本的な内容以外に、
先生が関心を持たれたように見えた部分がありました。
それは「アプロプリエイトテクノロジー(appropriate technology)」
という言葉を使ったときでした。それは当時、私が覚えた言葉で、
先端技術ではないけれど「(その場に)ふさわしい技術」のように解釈していました。
それと、土壌の改良具合を花の生育状況で比較して、実験結果を花畑で見せることの
意義を、「女性や子供に理解されたことは、きっと世間に受け入れられる」
と言ったときでした。そして説明を終えました。
一世一代?の役割終了後ホッとして、ちょっと達成感も感じていました。
本当は、ここからが大事なところでした。
H社長が「どうでしょうか?」と先生に尋ねました。
この部分こそが、権威ある先生の答えこそが、その日の本当の目的でした。
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そして先生は私に「あなたが学会で発表しなさい」と言われ、
私は「学会」で発表することになってしまいました。

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