希少な経験?


2011年8月11日

「論文」「学会」「発表」などの言葉は、すべて、普段の私の生活とは
異質なもので、イメージはどう考えても自分とは結びつきません。
思い余って、K先生の研究室に相談に伺いました。
初めて訪れた、歴史ある大学の建物は重々しく失礼の無いようにと、
気を張って行きましたが、あいにく週末で、建物入り口が施錠されていて、
先生をお呼び出しして、鍵を開けてもらうことになりました。


古い欧風の天井の高い部屋と、広い格子窓の前に先生の机があり、
横の壁に、大きな青色の濃淡のタペストリー(絨毯だそうです)がかけてありました。
私が尋ねたかったことは、要するに「私に論文が書けますか?」と
言うことでした。その単純なことをごちゃごちゃと話すと、
「そんなこと。私の知ったことではない。第一、『無理です』と私の口から
言える訳が無い」・・・とは、先生は言われませんでした。穏やかに、
ご自分の著書を書かれたときのことを例えに出しながら、
「とにかく分かりやすく説明してください。ただし査読(審査)があるので、
発表はそれが通過してからです」と言われました。
少しの四方山話の中で、先生が「実は私も若い頃微生物に興味がありまして・・」と
言われました。土木工学のご研究一筋の先生と微生物がどうしても結びつかず、
口癖でつい、「どうしてですか?」と聞いてしまいました。一瞬の沈黙の後、
つぶやくように、「変わっていたのでしょうなあ・・・」と応えられ、
愚問をした私が焦る場面もありました。
肩書きのイメージとは違ってとても気さくで人間味のあふれる方でした。
組織の肩書きの重さというのは、その世界に身を置かなければなかなか
分かりません。私のような、物知らず人間は、どうしても肩書きよりも
その人の人間性でしか印象を受けません。これまでの経験から、
組織での肩書きは永遠ではなく、いずれみな「その人の人間性」だけが
残っていくようです。もちろん、仕事でのさまざまな経験や知識も
ベースになるのでしょうが。
最後に残った人間性こそが、たぶんその人の魅力だと思っています。
結局、私が再確認したことは、自分が身の丈に応じて書くということでした。


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