猛暑日連続


2016年8月8日

今月の作業はとてもフレキシブルです。いろんな組み合わせで、いろんな
現場に向かいます。
今日はランドケアのS社長と、U君は遠方に自動潅水工事の応援です。
朝は6時出発なので、北大阪のS社長が自宅を出る頃はまだ日の出前だった
のではと思いますが。帰って来るのはきっと日没後になるのではと思います。
大きな屋上庭園の自動潅水工事だそうです。

朝早くは、まだ涼しかったのですが、その後『水銀柱』はぐんぐん上昇です。
別働隊は、剪定除草作業に出かけました。亡きお父様が手塩にかけたお庭です。
庭は嗜好品なのでかける時間は人それぞれです。親子といえど生活スタイルは
異なります。以前と同じように維持するのは難しいです。そんなときにお手伝い
をさせていただくのが私たちの仕事です。特に夏場手に負えないほどの状況に
なって、途方にくれておられた方は、みなさま作業終了後にホッとされます。
2t車一台分の植物残渣がお庭から消えるのですから。藪がすっきりすると
蚊は棲家を失います。

植物の管理というのは、鏡の国のアリスの赤の女王曰くの
「その場にじっとするにはずっと動き続けなければいけない」の例えのごとく。
ひたすら、生えてくる草を抜き、伸びた枝を剪定し続けなければいけません。
雨が降らなければ水やりももちろん必要です。雑草は少々の渇水に耐えますが、
人間が育てているものは渇水に弱いです。

今月のメインの作業の別働隊は公園の灌水作業です。地面の渇きが異常に早く、
水を注いでも注いでも、吸収していきます。2tぐらいの水は焼け石に水です。
給水タンクは2tまでなので水を汲みに行かなければなりません。今年度堺市
では水を汲む場所が遠方になったので、行ったり来たりに時間を取られ
どうしても撒く量が限られてしまいます。それでも、夏も花を咲かせたいです。

いよいよ明日から幼稚園工事の続きが始まります。
先日植え込んだ植栽周辺の工事です。枕木がたくさん入ります。
左官工事も含め、何とか夏休み中に仕上げなければなりません。

8月は踏ん張りどころの月です。

小さな小さな小さな生き物の話 PART3


2016年8月5日

新学期が始まって、責任者探しというのか、今回の件についてさまざまな議論が
発生しました。当時、犠牲者が出たこと、また責任追及で自ら命を絶たれた方もおられ。
何が真実なのかも分からず、とにかくわが子の命は自分で守らなければいけない
という悲壮感と同時に不信感などが漂って、あまり良い状況ではありませんでした。

あれから20年。先日後遺症が原因で亡くなられた方のニュースを見て、胸が痛みました。
事件の後、再開された給食は袋に入ったジャムでさえ煮沸消毒され、生野菜は一定の
濃度の殺菌剤で洗ったり。除菌、殺菌の方向に物事が流れていました。ただ、同時に、
腸内細菌をすぐに殺してしまう結果の怖さも知ることとなりました。

当時息子に、同じテーブルで食べた5人のうちなぜ○○君だけ発症したのか思い当たる
ことが無いか尋ねました。○○君はその日もとても元気で、他の子供と一緒におかずの
お代わりをしたのです。たまたま菌の数が多い部分を選んで食べたとは考えられません。
「そう言えば、牛乳を飲むときみなで○○君を笑わそうとしたので、一気に飲んでいた。」
そこだけが違うと言います。もしかして胃酸が薄まって菌が繁殖しやすかったのでしょうか。
他にも、私が知る限り、普段より体調が悪かった状態で発症した子どもも何人かいました。
風邪気味だったり、睡眠不足気味だったなど。特殊な事例として、「うちの子供は普段
絶対野菜が嫌いでほとんど食べないのに。どうしてあの日の給食の野菜を食べた
のかしら」と言われたお母さんがおられました。すべて、検証などされていませんが。

最近しきりと、腸内細菌が多様にあることが大事だと叫ばれるようになりました。免疫力
についても少しずつ解明されるようになりました。小さな小さな小さな生き物ですが、
微生物は侮りがたい影響力を持っています。
実は、土の微生物の重要性を思うにつけ、私はこのO157のことを思い出してしまいます。
植物の健全な生育のためには、土壌の中に多様な微生物が存在する=人間にとって
腸の中に多様な微生物がいる、というイメージを浮かべるからです。
私たち人間を育む土壌というのは腸の中身のことで、それをいかに大事にするかと言うことが
健康に生きることとつながるのかなと思いました。で、さらに私の妄想はつづきます。

(もしかしたら、植物から見たら人間と言う生き物は、体が『裏返って』いて、葉緑素も無く
なましろく、自分たちで栄養を作れず、他者を捕食するために『動き回る』超恐ろしい化け物!
なのかな・・・)と。

アニメの『○○の巨人』、それは植物から見たら『人類』のイメージそのものかもしれません・・・

小さな小さな小さな生き物の話PART2


2016年8月4日

空きベッドも無く、廊下にベッドをずらりと並べて点滴を受ける子どもたちの、まるで
野戦病院のような情景はテレビのニュースで何度も流れました。実際に経験した方から
伺うと現実はもっと悲惨な状況だったようです。苦しむわが子の姿や重症者の増える
不安の中を過ごした、保護者の方の中には、後々までその時の精神的な苦しさが
心の傷となった方もたくさんおられました。

恐れていた、犠牲者も出て、O157は食中毒と言うより『疫病』扱いになりつつありました。
極端に言うと、発症する、しないに関わらず、給食を食べた子どもやその家族は『保菌者』
扱いでした。当時、小学生は外に遊びに出ることもできず、家にこもりっきりでした。
友達の家への行き来は禁止されていました。担任の先生が一軒ずつ訪問し、次男は給食の
メニューチェックを受けました。何を食べて何を食べなかったのか。とても細かいチェック
でした。発症状況等、スクリーニングで、だんだん疑わしい給食の提供日が分かってきました。
それは7月8日、9日の給食に提供されたある野菜の入ったおかずに絞り込まれました。

少しずつ原因や治療法などが明らかになる過程で、快方に向かう子どもたちも増えた
お盆過ぎには、街も少しつずつ沈静化してきました。息子も検査で陰性だったので、遅れ
ばせながら夏休みの旅行に行くことになりました。どうせ行くならと、高い山を目指しました。
中学1年の長男と、次男と私たち夫婦の4人で本格的な山登りをすることになりました。

以下は当時の、年賀状の一部です
「出発前、父は息子たちに言いました。『ええか、お互い気分を悪くしたくないので
どこから来たのか絶対言うなよ!』当時、新聞などで堺市出身者への差別が問題に
なっていました。うつむき加減に出発したのですが、山に着くと溜まった鬱憤がエネルギー
になり息子たちはすごいスピードで登り始めました。しばらくすると、他の登山客から
『僕たち元気だね。どこから来たの?』と尋ねられ、真っ先に反応したのは当の父親でした、
『え、ええと。私たち、あのO157で有名になった堺からです』と応えると相手は怪訝そうに
『私たちは奥穂ですが。』と言われました。出発地点が『奥穂高』なのか『北穂高』なのか
尋ねていたのですが・・・それを『さかい』に、ようやくみなは元気を取り戻しました・・・」

特別な夏休みが終わり給食の無い新学期が始まりました。

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