今日は仏滅


2012年5月19日

私の母は仏滅と大安をとても気にします。
私は幼いときから、何か良いことがあると「ホラ、今日はやっぱり大安だった!」
と言う母の言葉を聞いて育ちました。
ちなみに、私と弟を「大安の日に生んだ」ことも母の自慢でした。
どちらかというと母は、何か良いことが起こるのを待つというような
受け身ではなく、『結果論の大安』というのでしょうか。
良いことが起こったことばかりではなく、悪いことが起こらなかった、
もしくはそうでなかったらより悪いことが起こったであろう。まで。
大安の解釈はバリエーションに富んでいます。
私も見逃した日は別ですが、ちょっとカレンダーで気づくと、
必要以上に結果をあてはめて、気にすることがあります。
その反対が仏滅と言いたいところですが。母には仏滅へも特殊解釈があって、
「ものごとの最低ライン。それ以上悪くならない」という
『期待の始まり的仏滅』というとらえ方をします。特に、仏滅の午後=大安という、
逆転発想の持ち主です。

それでも今日は私にとって仏滅でした。
そもそも世の中の「良いこと」「悪いこと」などみな相対的で、
何事も『自分にとって』という言葉つきです。『私にとって悪いこと』が
『他の人にとって良いこと』であることはよくある話です。
今日の仏滅はそんな日でした。

毎年今時分に入札だった、恒例の公共の花の仕事が、
いつの間にかボランティアの方々の作業に代わっていました。
それは数年前に、非常に低価格で請けた仕事でした。当時、
一生懸命、コストを意識しながらデザインや品種選びや配植、
作業段取りを工夫した駅前の花壇の仕事です。
あるサイトに、その仕事が、数十人のボランティアの方たちの手で
行われたことや。みなさんの満面の笑みと作業風景が掲載されていました。
経費削減の時代にはさもありなん話ですが。
企業努力もボランティアには太刀打ちできません。
給料を払えない仕事はプロには挑戦できません。

みなさんの楽しそうな笑顔を見て、胸にチクリと感じながら
(やはり今日は『仏滅』)と思った私でした。


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