今日の元気玉


2012年5月23日
 今日は、剪定作業と、薬剤散布とに分かれました。
個人邸のお客様は初めて薬剤散布をご依頼いただいた方です。
まずは害虫の特定からです。『Dr.カーバチ』K専務から次々と、
虫の名前(バラチュウレンジバチ、ハマキガ、テッポウムシなど)が飛び出しました。
その虫に合った薬を調合してから散布です。施主様も満足されて
いました。年間管理で入らせて頂いていたD社様にも害虫駆除です.
この時期の薬剤散布は、敵を知ってからの攻撃が有効です。
ただ散布するだけでは効果の無い作業になる場合もあります。
PCには自動潅水の施工をきっかけに、それ以来ハンギングや、
コンテナの植え込み、剪定などをさせていただいているお客様から、
次の植え替えのご依頼のメールと一緒に花の画像をいただきました。
いつも花を楽しんでおられる様子を伝えてくださるので、ちょっと
元気をいただきます。
今週末からは、いつも剪定のお仕事を頂いているボーリング場で有名な
R社様の作業です。
元気玉が膨らみます。
お客様から頂いた画像

花は12月に植え込んだものです。

木・切らない、切ります、切る、切るとき・・・


2012年5月22日

息子たちが小さかった頃、毎晩寝る前に、狭い部屋に布団を敷きつめて
タンスにもたれて絵本の読み聞かせをしていました。
 お気に入りの本の中に『ブルドーザのガンバ』というのが
ありました。土木工事で使われるブルドーザが主人公です。
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ある町の建設会社にガンバというブルドーザがいて、とても頼りに
されていました。さまざまな工事で活躍していたガンバもやがて古びてきました。
あるとき山を切り開いた大がかりな団地の建設工事が始まりました。
若い?新型の重機たちが次々に会社に戻っていくのに、ガンバは後に残って
後始末の作業をさせられていました。
やがて作業の人たちはどんどんいなくなっていきました。
ある日、ハイキングに訪れた家族連れが来て、変わり果てた風景に
「木がない。花もないよ。」「山がめちゃくちゃだわ。」「このブルのせいだ。」
とガンバを責めました。(おれはただ一生懸命働いていただけなのに・・・)
ガンバはすっかり悲しくなってしまいました。くやしさをこらえていると
その晩大雨が降りました。雨の中にうずくまるガンバの横を
救急車が通り過ぎていきましたが、すぐに引き返してきました。
がけ崩れで道が寸断され、奥の村に行けなかったのです。
「しめた油がまだのこってる。だめかな。たのむよ。病気のこどもがいるんだ」
その声に、必死で力を振り絞るガンバ。 土砂を押し出し横倒しの木を採りのぞいてガンバの燃料は切れてしまいます。 「すまん。いそいでいるんだ」という声を聴きながらガンバは (よかった・・・)と目を閉じました。
数日後、一人の男の子がガンバをなでながら「ありがとう。君のおかげだ・・」
と言いましたが、ガンバにはもう何も見えず何も聞こえませんでした。
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 最後のページに、横倒しのブルドーザの横にヤマユリが描かれていました。

最近の私たちの仕事は木を植えるより木を切る機会が増えてきました。
本来植物が好きでこの仕事を選んでいるのですが。これもまた仕事です。
ちょっとガンバを思い出した一日でした。

今日は仏滅


2012年5月19日

私の母は仏滅と大安をとても気にします。
私は幼いときから、何か良いことがあると「ホラ、今日はやっぱり大安だった!」
と言う母の言葉を聞いて育ちました。
ちなみに、私と弟を「大安の日に生んだ」ことも母の自慢でした。
どちらかというと母は、何か良いことが起こるのを待つというような
受け身ではなく、『結果論の大安』というのでしょうか。
良いことが起こったことばかりではなく、悪いことが起こらなかった、
もしくはそうでなかったらより悪いことが起こったであろう。まで。
大安の解釈はバリエーションに富んでいます。
私も見逃した日は別ですが、ちょっとカレンダーで気づくと、
必要以上に結果をあてはめて、気にすることがあります。
その反対が仏滅と言いたいところですが。母には仏滅へも特殊解釈があって、
「ものごとの最低ライン。それ以上悪くならない」という
『期待の始まり的仏滅』というとらえ方をします。特に、仏滅の午後=大安という、
逆転発想の持ち主です。

それでも今日は私にとって仏滅でした。
そもそも世の中の「良いこと」「悪いこと」などみな相対的で、
何事も『自分にとって』という言葉つきです。『私にとって悪いこと』が
『他の人にとって良いこと』であることはよくある話です。
今日の仏滅はそんな日でした。

毎年今時分に入札だった、恒例の公共の花の仕事が、
いつの間にかボランティアの方々の作業に代わっていました。
それは数年前に、非常に低価格で請けた仕事でした。当時、
一生懸命、コストを意識しながらデザインや品種選びや配植、
作業段取りを工夫した駅前の花壇の仕事です。
あるサイトに、その仕事が、数十人のボランティアの方たちの手で
行われたことや。みなさんの満面の笑みと作業風景が掲載されていました。
経費削減の時代にはさもありなん話ですが。
企業努力もボランティアには太刀打ちできません。
給料を払えない仕事はプロには挑戦できません。

みなさんの楽しそうな笑顔を見て、胸にチクリと感じながら
(やはり今日は『仏滅』)と思った私でした。

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