立秋を過ぎても


2014年8月14日

お盆期間ですが、お盆に突入しても通常モードです。
生き物相手の仕事は、なかなかカレンダーどおりにいかず、夏季休暇は揃って取れません。
さまざまな現場での除草作業、あるいは花壇で枯れたところの補植。伸びた枝の整理などなど。
植物の生育の激しい時期ならではの作業が続きます。

この数日、人海戦術で、手取りの除草作業が道路の真ん中の緑地帯で行われています。
せっかくの夏の花のカンナも、エノコログサやメヒシバに覆われています。
カンナ草
みなでカンナの中に頭を突っ込んで、ほんの少し?の日陰を感じながらの作業です。
作業
時々通る電車と、道路を通行する車に気をつけながら、ようやくすっきりとなりました。
カンナ除草後
こんな緑地帯が延々と続くのですが、雨上がりの土の湿り具合が絶妙な今のうちに
草をひいてしまいたいです。

高速道路下の管理作業も、早めの除草作業のおかげで雑草が随分減り、その分伸びすぎた植栽の
整枝剪定に時間をかけることができます。今回の作業は、設計されたSさんも来られました。
松原
樹木を弱めるので、なっていた果樹類の実を落としたいところですが、「少し残して欲しい」
というご要望でした。
hanamomoかりん
ハナモモのピンク色と、これから黄色く色づくカリンの実が公園に彩を添えます。
自然石の敷石の隙間に引っ張ってきたタイムも良い感じになってきました。
sikiisi
昨年は、暑さにやられてしまったシュウメイギクがたくさんつぼみをつけていました。

駅前の花壇は、明け方の潅水作業で酷暑でもきれいに育っています。
徒長した枝を切りもどしたり、穴の空いたところに植え込みながら、次回の植替えまで持たせます。
鳳駅ロング
鳳 階段下
いつの間にか夏の出口が近づいてきた感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

過ぎたるは・・・・・


2014年8月10日

及ばざるが如し。の例えどおり、望んでいた雨のとんでもない量は
各地にさまざまな水害を与えました。
特に台風は、去ってしまえば「一過」という一言で片付けられますが
過ぎるまでの時間が長ければ長いほど被害が大きくなります。
修復や後片付けも含め、去った後も大変な様子をニュース等で伺えます。
本当に日本は自然災害の多い国です。

随分昔に、なぜ日本で自然科学が生まれなかったかという話を聞きました。
西洋の場合は、自然現象を分析的に因果関係などで解釈する傾向がありました。
元々、考え方の中心にキリスト教をベースにした唯一の「神」の存在がありました。
ニュートンの物理学にしろ「神の一撃」で始まり、「神は無駄なものを作らない」
ことから「質量保存祖則」が生まれたり・・・と言うようなことに影響しました。
翻って日本の自然観は自然という言葉自体、「自ら然(よ)りて」というように
人間がコントロールする存在ではないと捉えていた・・・
そのせいで自然科学が発達しなかったというものです。

情報化の現代では、データに基づいた分析で自然現象でさえ詳細な予測が
可能になってきました。私たちは気象予報を見ながら、実際の画像も重ねて
自然災害を見ることが可能です。予測のおかげで、備えも早くなりますが、
現状との様子のギャップもあります。バーチャルな感じでテレビニュースで
見ていたのに、気づけばそれが地元で、いつの間にか画面と同じような
風雨の激しさが家の周りで起こっているという感じです。
同時に大きな台風の雲の動きに比べて私たちの生活圏が随分小さなものである
ことを痛切に感じてしまいました。

天に向かって「もうしばらく水を撒かなくて良いよ!」と叫びたいところでした。

 

されど芝生・・・・


2014年8月5日

ようやく雨が降りました。
ホッと一息です。ホースを親指で抑え水圧を調節しながら撒くのですが、
さすがに5時間以上になるとK専務のように腱鞘炎になってしまいそうです。
先週の金曜日までの悲壮な気持ちが雨のおかげで肩の荷が下りた感じです。

そんな日曜日の朝。以前からご相談を受けていたお庭のリフォームのお話に
伺いました。もうすぐ赤ちゃんが生まれる若いご夫婦のお客様です。
受け継がれた家の建物はリフォーム済みですが、庭の方が以前のままでした。
特に、畑にされていた広い面の雑草対策を中心に、子育てをメインの
お庭にしたいと言われました。ご予算の範囲で、芝生をご希望されました。

全面ではなく一部は枕木やレンガや地被植物でアクセントをつけても、
芝生の面積が結構あるのです。
この1週間、芝生の維持にピリピリしていたこともありますが、
これまで芝生の行きつく先をさんざん見てきたので、思わず念のため
『覚悟のほど』を確認してしまいました。

植物というのは、建造物と違って、出来上がりが最終ではありません。
どちらかというと、維持が大切な要素になります。建物が時間の経過とともに
どんどん劣化していくのに対し、植物はかけた時間分、どんどん良くなって値打ちが
上がっていきます。また植物は変化します。それは、身近な風景に彩りを添えます。
さらに、空気の浄化や、目隠しや、日陰として機能的にも役立ちます。
ただ放置すると本来の人間の目的から外れたものになっていきます。

その管理にどれほど時間をかけられるのかということで、ご提案内容が変わっていきます。
色々お話をしていく中で、お二人がお庭を、ライフスタイルに合わせて変化するものと
捉えておられることが分かりました。お子様の成長に合わせて変わっていくであろう、
暮らしの中での芝生だということで理解しました。
そう言えば、亡くなった私の父がかつて周囲の反対を押し切って庭の一部を芝生に
しました。もちろん途中で芝生は他のものに変わりました。我が家のアルバムの中に
初孫である長男が赤ちゃんのときに、緑の芝生で一緒に寝転んでいる写真があるのです。
父の幸せそうな顔に、ある種の『夢』がかなえられた達成感のようなものを、
今は感じることができます。

やはり『されど芝生』です。

 

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