台風の思い出


2009年10月8日

子供の頃我が家では、台風が来ると災害対策のために出勤する、
不在の父に代わって、母が、玄関や窓に板を打ち付けていました。
記憶に残る一番怖かった台風は、私がまだ小学校に上がる前のものです。
停電で真っ暗な中、木造住宅の柱がゴーっという音と共に、
ゆれていたのを覚えています。
泣いている私のために、一緒にいた母の弟の、叔父たちが、
暗がりの中で、輪投げをして遊んでくれました。
それはたぶん第2室戸台風だったと思います。
今回の台風と同じ「18号」でした。だから子どもの頃は、
台風は「18号」が一番怖いものだとずっと思い込んでいました。
その後、それほど強烈な台風の記憶は残っていません。
住宅事情も良くなり、板を打ち付けるようなことも無くなりました。
それ共に、だんだん台風に対する恐れのようなものも薄れていきました。
高校時代、授業中に風雨がきつくなり、お昼に警報が出て、
帰宅することになりました。早く引けたのを良いことに、
同級生と地下街の喫茶店で文化祭の出し物の打ち合わせを
していました。
数時間後、地下街から上がると、まるで夜のように、
出入り口にシャッターが下りています。
(変だなあ)と思いながら、電車に乗りました。
当時、私は京阪線で、天満橋と大阪北東部の自宅間を
1時間ほどかけて通学していました。
天満橋から乗車すると、電車は地下から地上に上がって京都を目指します。
発車すると、「この電車は風速2?mで自動的に止まります」
とアナウンスがありましたが、状況がよく飲み込めませんでした。
地下から出て、窓の景色に、普段より増水した川が見え始め、
鉄橋を渡り出すと、突然停車してしまいました。
時刻は5時前後だったと思います。電車の後ろ半分は建物の中、
前半分は外に出た状態でした。前方の車両に乗っていた私は、
窓ガラスに次々に打ちつける斜め破線の雨の跡と、風のうなる音を聞きながら
(しまった・・・)と思いましたが後の祭りでした。
結局、その日、自宅にたどりついたのは、夜の8時半過ぎでした。
携帯の無い時代、逆に、状況を知らせずにいたせいか、叱られた記憶も
無かったのですが、「あなどってはいけない」台風の経験でした。


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