リベンジ


2012年3月7日

今日は、昨年度落ちた1級造園施工管理技士の実地試験の合格発表の日でした。
合否の判定は朝の9時に、関連サイトで発表されるのです。
昨年。自信のあった(根拠はなかったのですが)私は、公開を待ちわびてすぐに
受験番号を片手に9時と同時にアクセスしました。しかしアクセスが殺到
しているのか、なかなか入れません。合格を疑わず何度も挑戦して、
やっと開いたサイトの番号集団の中に、自分のものがなかったときの気落ちは、
ちょっとトラウマものでした。
さて、今年度は昨年の轍を踏まないように、できるだけ平常心で今日を迎えました。
いつの間にか?9時になっていたのですが、サイトを開く気になれず。
他の用事でバタバタしているうちに、連絡が遅いのを落ちたと思った
家人からのメールで、ようやくアクセスする気になりました。
昨年と違ってすぐに開いたのですが、何と今年度は自分の受験番号を
すっかり忘れてしまっていました。受験票も家に置いたままです。
必死で思い出そうとしました。
(確か『一浪、苦労はもういや』だった)までは思い出せたのですが。
意味のしっかり通じる語呂合わせが仇になって、数字の割付を
忘れてしまっていました。『苦労は』にしても、
『96』なのか『90』なのか・・・
(この語呂あわせなら、合格だけど、こちらだと番号が無い・・・)
結局、合格が判明するのに時間がかかりました。
やっと2年間の受験生活から開放されました。
今夜はぐっすり眠れそうです。

五粒のえんどう豆


この1ヵ月あまり。植物を題材にした本を6冊ほど読みました。
1冊は建築家の方々が書かれた本。2冊は植物学の先生が書かれた本。
残り3冊は小説です。
それぞれは、「建築と植物」「誰がために花は咲く」「道端植物園」と、
現代小説の「植物図鑑」と、「ちゃんちゃら」「実さえ花さえ」という時代小説です。
どの本も今の私には新鮮でした。久々の小説も、あっという間に読みました。
というのも、この時期、好きな植物も、つい数字と置き換えて
見てしまうことが多いからです。そんな自分が少々寂しくなることがあります。
たとえ分野が違っても、架空の話であっても、植物と素直に向き合う話に心癒されます。
一体、自分がどうして植物が好きなのかということを改めて思ったときに、
子供の頃読んだアンデルセン童話の「五粒のえんどう豆」に行き着きました。
(あらすじです)
鞘の中の五粒の豆たちは、最初世の中すべてが緑色だと思っていました。
鞘が黄色くなったとき、世の中は黄色だと思っていました。
ある日、男の子が、豆たちを自分の豆鉄砲の弾にするために、
鞘の中から出しました。豆たちは、ぎらぎらのお日様と広い空に驚きながら、
それぞれ1番目が「広い世界に!」2番目が「お日様のところへ!」と
弾になって飛び出し、3番目と4番目は「まだ眠いから」と地上をころがって逃げ出し、
最後の豆は「さようなら」と飛び出しました。
最後の豆は、小さな家の軒下のやわらかい土の上に落ちました。
そこには貧しい母娘が住んでいました。少女は病気で、いつもベッドに寝たきりで、
お母さんは、毎日その子を残して働きに出ていました。
ある日、その子が母親に「窓の外に緑色のものがあるの」と言いました。
母親が見ると、それは芽生えたばかりのえんどうでした。
お母さんは娘にその芽が良く見えるよう、にベッドを近づけました。
毎日毎日少しずつ成長する芽を見ながら、少女もまた
少しずつ元気になっているのを感じていました。
ある日お母さんが、仕事から帰ると娘はベッドに起き上がっていました。
えんどう豆がピンクの小さな花をつける頃、娘はすっかり元気になっていました。
最後のページの、窓辺にたくさんの花をつけた豆を眺める母子の後姿が
とても印象的でした。
たぶん、私も植物の持つ生命力に、心引かれているからなのでしょう。

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