毎日毎日僕らは・・・♪


2016年4月26日

鉄板で焼かれてはいませんが、久々に、人力除草の現場に行っています。
以前大道筋で路面電車と三車線の自動車道路の間で延々と
人力除草をしていたことがあります。時折走るゴーッという電車の音を
聞きながらひたすら鎌で土をつついては雑草を穿り出す作業をしていました。

作業
今はなくなってしまったカンナ花壇での作業

のべ6年やりました。炎天下はアスファルトのそばなので40℃以上に
なっていたと思います。

今回は大きな海沿いの公園の中の菖蒲園の花菖蒲の中の人力除草です。
菖蒲園のそばに水をはった池がありそこに水を注ぐ音が、せせらぎのようで。
mae2
車の音もせず。手洗いも公園内で自由に行けて・・・・スタート時点でそう思った
のは私だけではありません。やはり厳しい経験は絶対後日役に立ちます。

ただ本気でやるにはなかなかの難度の高い場所です。
mae
めげそうになるたびにだれともなく、(道路の真ん中の作業に比べたら・・・・)
という気持ちで進んできました。その間にもいろいろ想定外のこともありましたが、
それもすべて粛々と(でもないですが)。
が、その勢いも少々疲れ気味の、4日目。ようやくゴールが見え始めました。
不思議なことに気持ちが張っているのか私自身、昨年再発したリウマチの痛みが
納まって、普通に久々の現場作業ができていることです。火事場の力が出るのは
今に始まったことではありませんが。がんばるほど、一生懸命きれいにするほど
命を削る仕事です。

人力の除草は絶対焦ってはいけないのです。草を抜くというのは本気で根を
取り出すことです。見た目の緑色(地上部の草の部分)が消えることとは異なります。
色んな人の作業の質の優劣は、作業直後にはわかりません。というのも、見た目は
同じように緑色の地表面が土色になるからです。本当に、除草がきちんと行われたか
どうかは、1週間ほど経てばわかります。適当に抜いた個所は、緑色になってくるからです。
達人が抜いた個所はなかなか生えてきません。
スタッフのA子さんと、Nさんはすごいです。でもみな最近レベルアップしてきました。
それがやはり結果に表れます。ただ悲しいことに雑草はまた生えます。
『美しさ』を追及し続けると、本当に、切りの無い作業となってしまいます。
『切り』は結局予算の範囲内という制約を受けます。そこを何とか、工夫しながら
しのぎたいところですが。なかなか難しいところです。

ato 2

ato
昨年度は、街の『緑花』で景色の値段を考えさせられました。今回も同様です。
緑の維持のコストがどういうものなのか。自ら進んで立ち向かう仕事に対し、
今年度もさまざまなことを見聞きしそうです。
とにかく今は一生懸命草を引いて、より気温が上がる頃の作業量を減らしたいです。
ここから仕事が始まります。
本気で、必死で、後日のために。という、作業が連日続いているのです。
設計の中で、少しでも作業性を考えながら美しく、適正な利益もあるという・・・
理想に向かって走ります。

明日は、いよいよ花壇の植え替え前の地ごしらえ作業です。天気をにらみながら
今度は一気に進めたいところです。

 

 

 

今年の牡丹は良い牡丹♪


2016年4月11日

ビニルハウスの横に見事な牡丹の花が咲きました。
風が結構強い一日でしたが、花びらはしっかりついています。
牡丹の花が咲き終わると、まだ小さなつぼみが出始めたばかりですが、
いよいよバラの花の登場です。

どちらの花も、ボリュームのある花を咲かせるためには
たっぷりの肥料が必要です。
牡丹赤牡丹アップ

明日なきと想う心のあで桜・・・・


景色は、あっという間に新緑の季節に向かい始めました。
表題の歌は親鸞上人に叱られそうですが、元々の歌は
『明日ありと、想う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは』です。

この歌は、時に明日どうなるか分からない無常観や、だからこそ
今を精一杯生きるべきだという戒めに使われることも多い歌です。

現代では、明日桜の花が見られるのかどうか、ある程度予測できます。
週間予報を見ながら、嵐が来る曜日が分かればそれまでに花見を終えないと。
と心の準備ができます。最近の天気予報は昔と違って雨も嵐も、
ほぼ予定通りにやってきます。案の定、先週の、荒れた天気で桜の花びらは、
ハラハラというより、引きちぎられるように足下に落ちてしまいました。
桜のある風景はその後も少し続きましたが、一気に葉桜となっていきました。

私は嵐の前日の遅い夕方、近所の満開の桜を見て歩きました。
明日は『散るだろう』桜を見納め気分で見るとちょっと一味違います。
元々短期間の景色ですが、見る気持ちに少し強さを持ってしまいます。

さて、桜の花ばかりではなく、人の一生も現代の医療で、現状から
余命が予測できる場合もあります。あくまで予測なのでそれは確率的な
ものですが意識の中には残ります。一般的には、平均寿命が参考に
なりますが、これも統計的な数字で、一生の長さは文字通り、人それぞれです。
ただ間違いのないことはいずれ死ぬということだけです。
それが分かりやすい状況なのか、分からない状況なのかの違いだけです。
それなら、明日は無いつもりで今日を過ごすのも良いかもしれません。
悲壮感などではなく、今日をしっかり焼き付けようと言う気持ちであれば、
もっと一日が輝いて過ごせるかもしれません。

現実はなかなか・・ですが、新年度の始まりでふと浮かんだ思いです。


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