さくらを見ながらおもうことNo.143


2024年4月16日

Tです

「初桜 折しも今日は よき日なり」 松尾芭蕉
(さくらの咲き始めでなくても、毎日がよき日であって欲しいと)詠ってるように
わたしたちは日々過ごしながら、この日々の歩みがより良い未来に続いていくような選択であればと常に願っています。
しかし世の中は冷静に対応できない選択や、答えのわからない選択もあり、むずかしい現実があります??

そんなときわたしは 好きな言葉の一つ「三方よしの精神」に倣い、この言葉を実践して「私よし、相手よし、周りよし。」を基本にしていれば間違った選択にはならないのではとも思うようにしています。(*^-^*)

さて初桜から、今は散り桜となっている桜ですが 散り際まで愛でられる花はそうあるものでもないと思います。

在原業平(ありわらのなりひら)が、平安時代の初期に「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」

(もし、世の中にまったく桜がなかったなら、春を過ごす人の心はどれだけのどかでしょうね)と詠ったくらいです。「どれだけのどかでしょうね」のフレーズには現代においても思わずほっこり笑ってしまうのですが、確かに、開花時期がニュースになるのはおそらく桜くらいでしょうし、いつ散ってしまうのか気になってしまうのも桜くらいかもしれません。(#^^#) それだけ人の気持ちを魅了し、春の陽気も相まって桜というのはウキウキした気分にしてくれます♪

もう一つ、「桜切るバカ、梅切らぬバカ」ということわざがあります。この桜切るバカ~は人間にも当てはまるとのこと。桜は枝を切ってしまうと花が咲かなくなり、梅は反対に枝を切らないと良い実がつかない。おなじ樹木でありながら、桜は切り口から病気になりやすく、梅の場合は切ったほうが、逆に枝ぶりが良くなります。
つまり樹木の特徴や性格に合わせて対応しないと上手く育たないとの意味合いが含まれています。これは人間に置き換えても当てはまります!
つまり子供に対しても、良い所は桜のように自由に枝を伸ばさせてあげて、悪い所は切り捨てるのではなく、剪定(いらない枝を落とし、必要な枝を残す)やり方で整えてあげると、よいウメの実(こころ)をたくさん育ててあげることができます。

初桜から満開を経て吹雪のように散る桜をながめつつ、ふと「さくらを見ながら思うこと」をつらつら書き連ねてみました。(#^^#)


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