どんぐり山の思い出


2016年1月6日

息子たちが幼かった頃。私は、育児のために退職していました。
公園デビューもうまくいかず、仕方が無いので、近くの『どんぐり山』と言われる
遊具の無い緑地に、生まれて3ヶ月ほどの次男と長男を連れて通いました。
公園というより、やや未整備な雑木山では、遊具には無い楽しみ方がありました。

幼稚園に入ると、放課後は同級生数人と、次男を含め4,5人の子どもたちとよく
どんぐり山に向かいました。息子と親しくないけれど、どんぐり山に行きたい為に
遊びに来る子もいました。
自宅から数分歩いて石段を登って、板で土留めされた段を上っていくと
広場に出ます。でも息子たちは、そのルートより、下の場所から法面を駆け上がる
近道を行きたがりました。傾斜角度が30度ぐらいの法面は、粘土質の地肌が
つるつるで、そう簡単には上れません。飛び出している枝や草や木の根っこなど
生えている植物を頼りに、上がります。そして、上から滑り降りてくるのです。
最初はできない子どもも、何度も挑戦して最後は簡単に上り下りできるようになります。

大きな団地の一角の取り残されたような緑地は、あちらこちらが重機で削られていて
高木の根っこも側面が露出していました。息子たちは、その根っこをジャングルジム
の代わりに上っていくことも覚えました。根っこの硬さと大きさは地上部の木に
負けないくらいでした。
幹回りが、1m以上の(あれはコナラかな?)木が伐採されて先が埋もれたまま横になって
その木の橋を渡る遊びもしました。橋の下には『チクタクワニ(私です)』が棲んでいて
ジャンケンで勝てば通行できるけれど、負ければ下に引きずりこまれて食べられるという
設定でした。額に筋を立てるほどのジャンケンの真剣な声が響きました。
最後は、誰が言い出したか、絵本の『じごくのそうべえに』

出てくる『糞尿地獄』風?に糞尿地獄
みんなでくぼみに溜まった落ち葉に向かっておしっこをして探検はおしまいになりました。

後日次男の時には、怪我人が出たり、雑木林の暗さが怖くて泣き出した子もいて。
全ての思い出が楽しいものではありません。ただちょっとワイルドな遊び場が
公園以外にあっても良いかなとも思います。というより、息子たちに便乗して
すっかり『男の子遊び』の虜になっていたのは私かもしれませんが。

世の中はバブルの時代でした。私にはなつかしい子育てと植物との思い出です。

名称未設定 1

じごくのそうべえ 
著者 田島征彦 1978年

 

 

雨の七夕


2015年7月7日

家の前に色とりどりの短冊の笹が飾られた家がここかしこに。
そんな風景が世の中から消えてしまってずいぶん月日が流れます。

四分の一世紀前の子育てのとき。
ママ友選びで私はあるコツを発見しました。それは、長男の
ママ友にはできるだけ二人目三人目のお母さんと付き合うようにすること、
でした。それは初めての子で、しかも子供同士が同性のママ友にありがちな
一種の『張り合い』や『比較』から逃れるためです。
実際に苦い思いをした経験から出た知恵ですが。
その代り、新米ママと先輩ママが付き合うときは、どうしても
新米ママの方が子どもを預かる時間が増えます。
二人目三人目となると、子育ても要領が良くなるというのか、
下の子が小さい方が身動きが取れないというのか。

そんな私の先輩ママ友にM君のお母さんがいました。同じ団地の
テラスハウスの隣の棟の方でした。
M君は三番目でうちの長男より数か月お兄ちゃんで学年は上でした。
毎日のように我が家に来て、遊んでいました。その逆はありませんでした。
幼稚園で私たちはバス組ではなく『お歩き』と呼ばれる徒歩通園組
でしたので、出迎えのときに運動場で会うこともありました。
年も離れていたので当初はあまり話すこともなかったのですが・・・

ある7月の第一週の週末。息子たちが、小さな手にビニル袋に入った
色とりどりの飾りつけを持って、出迎えの保護者のところへ駆けてきました。
恒例の七夕行事は、親が花屋さんで買った笹に、自宅で飾り付けるのです。
長男にとってそれは初めての経験でした。
そのときM君のお母さんに手招きを受けました。
「帰ったら、良い笹の場所、教えてあげる」と言うのです。
その伝え方がとても秘密めいていて。私は帰宅後すぐに、飛んで行きました。

M君ママについて、滅多に歩かない団地の棟の裏側を進んで行くと
見知らぬ方の裏口のガスメーターの横ににょっきり竹が生えていました。
「私毎年ここで採るの」というとM君ママは、ささっと周囲を見て
あっという間に、竹を2本手折りました。(正確には『足折り』でしたが)
今でも華奢で小柄なM君ママが器用に、サンダルの足で竹を採った姿が
浮かびます。しかもハサミ無しで!
「採っても毎年この大きさになるの。秘密の場所よ」と言われました。
二人で背丈に近い笹を獲物のように意気揚揚と引きずって帰りました。
豪華な笹に息子の作ったたくさんの飾りつけが古い家を華やかにしました。

ハーブな一日


2010年7月4日

先日、ハーブを乾燥させる作業をしました。
触れる度に香りに包まれながらちょっと幸せ気分です。
元々ハーブは野生的で、園芸種の草花などに
比べると、とても勢いが強いのです。
放置すると、植え込んだ可愛い?苗が、とんでもない状況になります。
はびこったミント、増え続けるレモンバーム。
茂りすぎるラベンダーやローズマリー。
もちろんハーブも他の植物同様手入れ次第です。
時期さえ適切であれば、丈夫なので強い刈り込みも可能です。
乾燥状態の香りも強いので、捨てた剪定枝葉が乾くと、
周辺にプンプン匂いを放ちます。
広げて形を整えて干せばドライハーブとして使えます。
今から20数年前。仕事を辞めて保育所から子供を引き上げたのですが、
いわゆる「公園デビュー」も上手くいかず、親子で孤独な
日々を送っていました。
紆余曲折しながら、少しずつ、知り合いを増やしていった中に
台湾出身のTさんがいました。無口だと思っていたのですが、
家を行き来する間に、打ち解けていろんな話ができるようになりました。
よく珍しい食材を頂き、薬膳のようなスープを食べさせてもらいました。
薬草感覚に近いのか、彼女はハーブにとても興味を持っていました。
当時ハーブは出始めで、今ほどポピュラーではありませんでした。
二人で、通信講座を参考に、栽培や、クラフトをし、
自己流でブレンドしたお茶を飲みながら、子育てのストレスを癒していました。
彼女が特に気に入っていたのが、ラベンダーでした。
専業主婦の私たちには高価だったドライハーブを、折半して袋詰めで取り寄せ、
石鹸やポプリも作ってみました。
ラベンダーティーの味は私には今一つでしたが、グレーに近い色のお茶が
レモンを1滴入れると赤紫系の色に変わるのが楽しかったです。
ハーブには、見て楽しむ園芸種や、食材としての野菜とは一味違う楽しみ方が
できます。
当時のことを思い出しながら、いつもの仕上げが目標の作業ではなく、
つい浸ってしまった「ハーブな一日」でした。

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