あおいくま と ひょうたん島


2011年5月17日

昨日は、ねらっていた入札物件の開札日でした。
今年も、やってみたい花関係の仕事が落札できませんでした。
今年度は、最少価格から、最低入札価格の設定へとシステムが
変更されました。
最少価格の競争入札で落札するには、当たり前の話ですが
自分たちで価格を決めます。赤字を出さずに、品質を落とさず、
しかも作業する人間に負担がいかないように、コスト削減をしますが、
この時勢では、劇的に安い価格でないと、落札できません。
『良いものを安く速く』する工夫は結果的に自らを鍛えることになります。
苗の仕入れ価格の数円の差に一気一憂し、
管理を楽にするための手入れのタイミングなども意識しながら、
いつもぎりぎりでピリピリやっていました。
ところが、年々、落札価格は下落していきます。
イメージで言うと・・・
昔何十年も前のテレビのクイズ番組で、クイズの答えを間違えるたびに
滑り台の角度が大きくなっていくというのがありました。
必死で、しがみつく回答者ですが、そのうちついに、風船の中に
滑り落ちていくというものです。
昨年うちは耐え切れず?滑り台から落ちました。
ところが、今年度、最低価格が設定されました。
当初喜んでいた私でしたが、下回ってだめだったり、
逆に、オーバーしたりと撃沈してしまいました。
人が決める価格を言い当てるのは難しいです。
「あおいくま」とは、以前夫が教えてくれた言葉です。
ネットで調べたら結構有名でした。
あ 焦らない
お 怒らない
い 威張らない
く 腐らない
ま 負けない
気分一新。思わずひょっこりひょうたん島の歌が心の中に浮かびました。
♪丸い地球の 水平線に
何かがきっと 待っている
苦しいことも あるだろさ
悲しいことも あるだろさ
だけど ぼくらは くじけない
泣くのはいやだ 笑っちゃおう
進め

指差しを控えないといけない花


2010年6月17日

今日は、珍しく、Mさんまで出動です。
潅水工事に行った男性陣の留守中、トラブル解決のため、重い鉢の搬入と、
土の入れ替えに、急遽手助けしてもらうことになりました。
現場仕様?でないMさんの参加で雰囲気はちょっとやわらかく変わります。
街中で緑地管理(特に花壇)の作業をしていると、
よく話しかけられます。「ボランティアですか?」と聞かれるときは
「プロです」と応えています。
先日は、ある公園で、何かのツアーとおぼしき、
60代後半ぐらいの男性グループが横を通られました。
そのうちの一人が、今を盛りに咲いている、
背の高い、ちょっと個性的な花の名前を聞かれました。
「あれは、アカンサスです」というと、別の方が、
うなずきながら、表題の「指差し・・・花」と言いました。
そしてニヤリと「あかん。指す」とつぶやかれました。
アニメなら私の顔にすだれの模様が入るところでした。
にぎやかに、通り過ぎて行かれました。
また、別の場所で花の手入れをしていると、お坊さんが
話しかけてこられました。低い静かな小さな声で、
「それはペチュニアですか?」と言われたので、そうだと応えると、
「横にあるのは、フウロウソウの仲間ですか?」(別科のアルケミラ・モリス)と、
珍しい名称が出たので、思わず、「詳しいですね。花がお好きですか?」
と問いました。すると呟くように、「『執着』はいけないのですが・・・」と
言われました。『執着』と言う言葉が私の頭の中で?を点滅させていると、
「今度生まれ変わるときは、ガーデナーになりたいですね。」と言われました。
思わず、「いつでもガーデナーになれるんじゃないですか?」と
言った後で、気づきました。
そう言えば、ガーデニングは、殺生の連続です。除草にしろ、害虫駆除にしろ。
どれも、きれいな花に執着した結果なのかもしれませんが。
害虫を一気に、殺めるときは心の中で(ゴメン)と言いますが、
逆立場で、「ゴメン」と言われて殺されるのはどんな気持ちかと
ふと思うことがあります。
別の歩道沿いの花の手入れをしていると、高齢の女性が、
「毎日見ているけどきれいね」と話しかけてこられました。
何でも、遠方に住む息子さんに、きれいだと思ったら声に出して花に
話しかけたら花も喜ぶと言われたそうです。
「朝の散歩のときに、花に向かって『あんたらきれいやね。ありがとう』って
言ってるから、きっと頭のおかしいおばあさんに見えるやろうね」と
言われました。
一生懸命植えた苗が、植えた後から、なくなってしまう情景は
少々つらいところですが、いろんな方の反応も私たちの頑張りを支えます。

位置について・・・


2010年4月27日

子供の頃から、競争がきらいでした。
一番苦手なのはかけっこでした。
幼稚園の年少のときに、なぜか雰囲気?で、予選もなしで
リレーの走者(確かアンカーでした)に選ばれ、
「らしくない」快挙に、両親はもちろん、叔父や叔母まで
声援にかけつけてくれました。
当時、選ばれた意味も分からないまま私は、
運動会のバックミュージックに合わせているのかと
思うような走りで、ドン尻でゴールインしました。
あまりに幼かったので、私の心は全く無傷でした。
周囲の失望がどんな風だったのかも
全く記憶に残っていません。逆に、今その当時のことを
思うとちょっと手に汗にぎりますが。
以来という訳ではありませんが、未だに、人がたくさん
いる方向へかき分けて進むのは苦手です。
繁華街も、観光地も、みな人がたくさん集まる場所へは
できるだけ行きたくない習性が身についています。
できれば、いつも人気の無い方向に向かって、
自分のペースで走りたい気持ちです。
明日は競争入札です。そんな私も参加です。

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