梅雨時の仕事


2016年6月22日

梅雨時は曇りでも油断ができません。『秋の空』ほど激しい変化は
ありませんが、ドヨーンとした雲はいつでも水を含んで雨を搾り出します。

先週は、男性陣は、雨と曇りがうまく作業内容に振り分けられて、
校庭の芝生化工事を自動潅水の敷設工事も含め、張り芝の手前まで
完成させました。後は、関係者の方々の芝張りのイベントに合わせた
整地だけを残すのみとなりました。

同時進行で、女性陣は、公園内の菖蒲園の人力除草を行っていました。
湿っぽい土が根の周りについて、積み上げて乾かしても、思うほど重量が減りません。
夏場なら、抜いた直後から雑草の水分が抜けて。あっという間に土も乾き、
根についた土もポロポロ落ちて、軽い草の山になります。ただし・・・
『萎れた』状態になるのは、草も人間も同じです。体力的にきつい作業になります。
良いことも悪いことも必ず同時に二つありません。

最終日は残った部分が土砂降りの中での作業になりました。雨の低温でも、この時期は
蒸し暑く。休憩時間にすぐ近くの自動販売機にお茶を調達に行きました。軍手を
外した手でお札を取り出したら、濡れて汚れたのか何度入れても戻ります。
後ろに人も並び始め、お先にと言うと、その男性がお札を交換して下さいました。
『見るに見かねて』の交換でしたが、あっという間に作動して有難かったです。

一日余裕の出た私も、男性陣の作業現場を見に行くことができました。
土壌改良も、配管工事も全て終え、ホースの敷設と地ならし作業のまっ最中でした。
ほんの少しだけトンボがけをやってみました。以前にも述べましたが、腰で引く、
トンボがけは、私が過去にやっていた合気道と相通ずるところがあるのですが・・・
今病気中なのをすっかり忘れて、健全だった右肩の腕が動かなくなりました。
本当は、その状態で、今週は菖蒲の株分け作業に入るはずでしたが、
有難いことに、大雨で中止になりました。

梅雨が終われば炎天下作業ですし、雨の日も晴れの日も、粛々と作業が進みます。

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土壌改良作業です

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重機も活躍しています

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配管工事です

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灌水ホースを敷設します

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地面の凸凹の調整や勾配を意識しながら均します

 

梅雨入り


2016年6月7日

雨です。
多分梅雨入りです。日本は本当に季節の移り変わりがはっきりしています。
個人のお客様の花壇の植え替えのために、今日は花苗を仕入れに
行きました。
今屋外に植えて生き生きと輝くのは、梅雨時期に馴染む花ですが、
夏の暑さには少々弱いものも混じっています。
逆に、乾燥に強い場合、梅雨季の、雨に少々弱いものもあります。

随分前に、この時期にニチニチソウを大量に植え込みました。
ところが、その花壇の土が少なく、排水の悪い状態であったために
雨が降り続いた時に水が溜まり、なかなか抜けませんでした。
あれよあれよと花が痛み始め、ニチニチソウはほぼ全滅となりました。
夏の真っ盛りに、鮮やかな色合いの花を次々に咲かせる景色を
目指して植えたのに、残念でした。

私たちはファッションの世界と同様に、季節の早め早めに出る苗を
仕入れていくのですが、梅雨の前後だけは注意して選びます。
夏を見越してフライングすると枯れてしまうものがあるからです。
最近、南半球の花が多くなりました。オーストラリアやニュージーランド
の植物は乾燥に強いものが多いのですが・・・あちらには梅雨が
ありません。
高温多湿に弱い品種も多いです。まして、梅雨時は、蒸れやすく
その植物の遺伝子?に、想定されていない大量の水に、なすすべも
無く、弱っていきます。

その点、日本の在来種の植物は強いです。特に『雑草』は平気です。
もちろん雑草には外来種も多いのですが、大体異国の地でも平気に
繁殖するものは、オールマイティの力強さがあります。

元々、旱魃よりは、雨がしっかり降った方が植物が生きていく上で
有利です。
そのことが日本の植生を豊かにしているのだと思いますが。

園芸は限られた場所に、外来種も含めて、さまざまな原産地のものを
植え込むので、やはり、日本の梅雨の時期を過ごせるのかどうかは
ちょっと気になるところです。

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アナベルも濡れて頭を垂れています

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ヘメロカリスが花茎を立ち上げて、開花の出番を待っています。

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青い色の花は、夏に強いロベリアです。

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テイカカズラのトンネルから

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ユリが咲きだしました

 

明日なきと想う心のあで桜・・・・


2016年4月11日

景色は、あっという間に新緑の季節に向かい始めました。
表題の歌は親鸞上人に叱られそうですが、元々の歌は
『明日ありと、想う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは』です。

この歌は、時に明日どうなるか分からない無常観や、だからこそ
今を精一杯生きるべきだという戒めに使われることも多い歌です。

現代では、明日桜の花が見られるのかどうか、ある程度予測できます。
週間予報を見ながら、嵐が来る曜日が分かればそれまでに花見を終えないと。
と心の準備ができます。最近の天気予報は昔と違って雨も嵐も、
ほぼ予定通りにやってきます。案の定、先週の、荒れた天気で桜の花びらは、
ハラハラというより、引きちぎられるように足下に落ちてしまいました。
桜のある風景はその後も少し続きましたが、一気に葉桜となっていきました。

私は嵐の前日の遅い夕方、近所の満開の桜を見て歩きました。
明日は『散るだろう』桜を見納め気分で見るとちょっと一味違います。
元々短期間の景色ですが、見る気持ちに少し強さを持ってしまいます。

さて、桜の花ばかりではなく、人の一生も現代の医療で、現状から
余命が予測できる場合もあります。あくまで予測なのでそれは確率的な
ものですが意識の中には残ります。一般的には、平均寿命が参考に
なりますが、これも統計的な数字で、一生の長さは文字通り、人それぞれです。
ただ間違いのないことはいずれ死ぬということだけです。
それが分かりやすい状況なのか、分からない状況なのかの違いだけです。
それなら、明日は無いつもりで今日を過ごすのも良いかもしれません。
悲壮感などではなく、今日をしっかり焼き付けようと言う気持ちであれば、
もっと一日が輝いて過ごせるかもしれません。

現実はなかなか・・ですが、新年度の始まりでふと浮かんだ思いです。

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