木・切らない、切ります、切る、切るとき・・・


2012年5月22日

息子たちが小さかった頃、毎晩寝る前に、狭い部屋に布団を敷きつめて
タンスにもたれて絵本の読み聞かせをしていました。
 お気に入りの本の中に『ブルドーザのガンバ』というのが
ありました。土木工事で使われるブルドーザが主人公です。
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ある町の建設会社にガンバというブルドーザがいて、とても頼りに
されていました。さまざまな工事で活躍していたガンバもやがて古びてきました。
あるとき山を切り開いた大がかりな団地の建設工事が始まりました。
若い?新型の重機たちが次々に会社に戻っていくのに、ガンバは後に残って
後始末の作業をさせられていました。
やがて作業の人たちはどんどんいなくなっていきました。
ある日、ハイキングに訪れた家族連れが来て、変わり果てた風景に
「木がない。花もないよ。」「山がめちゃくちゃだわ。」「このブルのせいだ。」
とガンバを責めました。(おれはただ一生懸命働いていただけなのに・・・)
ガンバはすっかり悲しくなってしまいました。くやしさをこらえていると
その晩大雨が降りました。雨の中にうずくまるガンバの横を
救急車が通り過ぎていきましたが、すぐに引き返してきました。
がけ崩れで道が寸断され、奥の村に行けなかったのです。
「しめた油がまだのこってる。だめかな。たのむよ。病気のこどもがいるんだ」
その声に、必死で力を振り絞るガンバ。 土砂を押し出し横倒しの木を採りのぞいてガンバの燃料は切れてしまいます。 「すまん。いそいでいるんだ」という声を聴きながらガンバは (よかった・・・)と目を閉じました。
数日後、一人の男の子がガンバをなでながら「ありがとう。君のおかげだ・・」
と言いましたが、ガンバにはもう何も見えず何も聞こえませんでした。
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 最後のページに、横倒しのブルドーザの横にヤマユリが描かれていました。

最近の私たちの仕事は木を植えるより木を切る機会が増えてきました。
本来植物が好きでこの仕事を選んでいるのですが。これもまた仕事です。
ちょっとガンバを思い出した一日でした。

センスオブワンダー


2011年11月3日

というのは、以前「今月の花」担当のハナミズキさんが書いてくれた言葉です。
「沈黙の春」で有名なレイチェルカーソンさんの著書の題名でもあります。
それは、自然の神秘や驚きを知る感性というのでしょうか。
さしずめ「Mr.センスオブワンダー」とお呼びしたいのが
うちのK専務です。
今回、身近な場所で、稀少な植物種を見つけられました。
それが、泉北コミュニティという地元のタウン誌に掲載されました。画像はクリックすると大きくなります。『泉北コミュニティ11月3日1704号より』
実は、そのオニバスの池は私の生活圏の近くでもあります。
何度か自転車で横を通ったこともあるのに、「見れども見えず」でした。
やはり、自然観察も「センス」がものを言いそうです。
記事より詳しく、「Dr.カーバチ」に報告されています。
画像がなかなか興味深いです。
そして、「センスオブワンダー」を大切にしているハナミズキさんの
「今月の花」の今回は「京都」です。秋の京都は行けそうでなかなか
行けない場所です、今回は、あの有名な建築物です。
私はまだ行ったことが無いのでうらやましいです。
また題字がモネの絵の雰囲気から画像に変わります。
合わせてご覧下さい。

ゴールデンウィーク


2010年5月3日

どこへ行っても人込みのようです。
高速道路の渋滞情報をながめて、遠出する人は
大変だなあと最初から他人事です。
それなのに、昨日は思い切って、夕方美術館に行きました。
その時間帯なら混雑を避けられると思ったからです。
予想していた閉館時間が延長されていたので、
意外に人は多く、それでもたぶん日中よりは、
大勢の人の頭越しではなく絵をみることができました。
長谷川等伯展です。没後(享年72歳)400年特別展覧会です。
そんな昔に描かれた絵なのに、作者の渾身のエネルギーが
見るものに迫ってきます。
若い時代の細密な絵も驚きでしたが、
年代が上がるごとに、シンプルになって、最後は色まで
も、墨という白と黒の濃淡だけになっていきます。
加えて、描かれた「もの」ばかりではなくて、
霧とか、風とか、見えないものまで伝わってくるのです。
つい植物に目がいきます。
カイドウサクラや、ヤブカンゾウなどはとても写実的でした。
ススキや、ハギ、松、柳、梅など、樹形や葉はとても
デフォルメされているのに、実物以上?に「そのもの」の
雰囲気が伝わります。
その後、これもまた、終了時刻延長の清水寺に行きました。
美術館から歩いて行ったので、有名な坂道ではなく、
大谷本廟という巨大な墓地(親鸞上人のお墓がある)群の
間の道を登って行きました。都会の公園墓地ではなく
山あいの広大な面積に、墓石が詰まって累々と並ぶ景色は
無機質というか、古いものなのに、宇宙基地みたいな
不思議な光景でした。道筋の墓石の背中に刻まれた元号に
「文久」が比較的目につきました。幕末混乱期に建立されたようです。
さすがに、人気はありませんでしたが、人恋しくなって、
清水寺についたときはホッとしました。
後数10分で終了というのに、次々と人が上がってきました。
夕日を背景にシルエットで味わった京都でした。

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