真夏のアリス


2015年7月31日

いつの間にか、7月も終わりです。この暑さも後半に突入でしょうか。
それとも、ピークはこれからなのでしょうか?

今月施工した芝生も段々根付いてきているようです。

芝生と一口に言ってもさまざまな種類があります。
随分昔、20年近く前にティフトンという種類の芝生を刈ったことがあります。
1週間に2回ほど刈らないと、匍匐茎と呼ばれる横に這う茎が伸びました。
とにかく成長が早く(夏場は15cm/日伸びるようですが)、痛んだ芝の
回復も早かったです。ただ、その分、常に芝刈り作業に追われました。

植栽管理作業をしていてつくづく思うのは、植物をすくすくと成長させることが
すべて良しとはならないということです。
あるお客様から、「木の先端に塗ったら成長が止まる薬ってないの?」と
聞かれたことがありました。確かに植物の管理の中で大きな比重を持つ、
剪定、除草、芝刈りはすべて植物の成長次第で頻度が変ります。
そして頻度はすぐに管理コストにも反映されます。

最近特徴の中で、「ゆっくり育つ」というのがキャッチフレーズの樹木
が増えて来ました。そういう木は生産農家で大きくするのに時間かかります。
そのため規格が1段階大きくなるだけでも随分値段が高くなる場合もありますが、
後の管理が楽になることが期待されるようです。

元々限られた空間と、時間の中でそれ自身も変化していく生き物である植物を
一定の状態に保つのは、やはり最後に行き着く言葉は「管理」です。
以前にも、書いていた「鏡の国のアリス」の中の赤の女王の言葉の、
「その場にじっとするには、ずっと走り続けなければならない」の例えのように、
「状態を維持するには、ずっと管理し続けなければならない」はずなのですが。

管理のコストが植物の存在を減らしていくのか、管理しなくても良い植物が生まれるのか。
どちらにせよ、私たちは、植物の無い生活は考えられず、粛々と、枝葉を切り、草を抜き、
芝を刈る生活が続くことを望んでいるのですが・・・

生命力


2014年9月10日

今朝はうろこ雲でした。中秋の名月といい。季節は確実にめぐっています。

夏の終わりに、生まれて初めての全身麻酔を経験しました。

手術自体はいわゆる腹腔鏡手術という、ピンポイントのものだったので、
入院日数も、退院後の復帰までも非常に短期間で済みました。

全身麻酔というのは徐々に記憶が薄れていくものだと想像していましたが違いました。
テレビドラマで見慣れたような手術室の様子を見ながら、麻酔科の先生と話をしていて
心の中で(会社に今から手術だとメールしなければ。とにかくメールしなければ)と
ぼんやり、周りの様子をみていたら、実はその状態はもう手術が済んだ後でした。
記憶のフィルムの真ん中が切断されている感じでした。

私は麻酔の『効き』が良かったらしく、何も感じなかったのですがその分
後が大変でした。文字通り酔った状態というのでしょうか、とにかく吐いてばかりでした。
絶食中で出すものが無いので、出るのは胃液ばかり。出し切った達成感でうとうとし、
また吐き出すという悪循環でした。
自分の胃液と向き合う機会も生まれて初めてでしたが、その透明な器の中の黄色い液は
見るからに強酸で、もし私がハエぐらいなら飛び込んだらジュっと溶けるかなという感じです。
次に連想したのが、ウツボカズラという食虫植物の断面の画像で。袋の中の液体の中に
累々とある昆虫の残存物でした。
が、よく考えてみたら人間の胃袋はそんな上品な感じのものではないはずです。
多分大きく動いたり、壁面からプシャーっとさらに追い討ちをかけるように胃液が出て・・・
ガシャガシャと内容物を消化していくさまはちょっと恐ろしく。
本当のイメージはむしろ、映画のエイリアンを裏返した感じかなと。
そんなスゴイものがどの人にもどんなに楚々とした方にも必ず1匹(一つ)は
体内にいるのだと気づきました。

生きていくための胃袋のその営みの激しさは、私の意識や知識にも関係なく、日々たえまなく
他の臓器とともに動いているんだと思うと、自分が『生き物』であったことを
リアルに感じてしまいました。

最後に頭に浮かんだイメージは切り倒された木からでも芽が出る再生の様子でした。
案外、人間もあれこれ頭の中で考えるより、自分の中にある生き物としての生命力に
身を委ねた方が、長生きできるのかもしれません。

とまあ、しばらくは、重いものを持てないおしとやかな日々が続きます。

知れは知るほど狭くなる?


2014年2月10日

随分前に、お寺と言っても新しい建物の入り口の花壇のリフォームをお請けしました。
ゴールドクレスト数本と、端にツバキの花の植えられた花壇は、和風の建物と
違和感があり、新しく赴任された住職さんのご要望で、リフォームすることになりました。
ツバキを主役に、ドウダンツツジ、オタフクナンテン、オモト。黄色い点の入った
ツワブキホタルなどと生駒石を配しました。根占にタマリュウを敷いて仕上げました。
それまで余り目立たなかったツバキは、ちょうど花の時期を迎え八重の赤い花が、
背景の黒壁に映えました。住職さんが言われるには、そのツバキは、以前名のある
御上人様がお手植えされたものだそうで、リフォームを機会に、それを記念する石碑も
建てるので花の名前を教えて欲しいといわれました。

実は日本のツバキの種類は数百種類もあって、ちょっと奥深い世界なのです。
ピンク色の『乙女ツバキ』風のこの赤い八重ツバキは一体なんという名前なのか。
すぐに私は図書館でツバキの専門書を借りて、花色、赤、八重咲きで調べると・・・
出てくる出てくる・・いろんな名前のツバキが出てきました。ウウム・・・・
と悩んでいると、住職さんから「当時の記録が出てきたので分かりました」と
一件落着です。後日、石碑を見に行くと、『・・・上人乙女ツバキを・・・』となっていました。
深く考えすぎました。そこまで、マニアックな名前は不要でした。

そう言えば、有名な、太田道灌のヤマブキ伝説に出てくる歌で
「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに 無きぞ哀しき」というのがあります。
狩りの途中で雨に降られ、農家に「蓑」を借りに行った道灌が、娘に差し出されたのが
「一枝の山吹の花」でした。そのピント外れの応対に怒って帰り、後日蓑が無いことを
先の元歌の「実の」にかけたと知り、己の不明を恥じて歌道に精進したという話です。
実際は八重咲きのヤマブキは実がなりませんが、一重咲きのヤマブキは実がなります。
それを細かく言うのは歌の世界では無粋です。

知りすぎて、イメージの幅が狭まることも・・・あるかもしれません。

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