恐るべし仏の座(ホトケノザ)


2014年11月5日

今日はランドケアのS社長他数名とで大道筋の植え込み作業でした。
先週に大掛かりな秋の除草作業を終えていたので、すっきりとした景色になりました。
ここはとにかく、除草作業が大きなウェイトを占めています。
今回、S社長とUさん中心に、その大変な部分を終えてもらっていたので、
私は立体花壇の花の植え替え作業に参加しました。
すっきりとした地表面を良く見ると、たった一週間でも小さな芽が出ています。
ホトケノザです。夏草で苦戦したハマスゲもだんだん葉色があせて、
少しホッとしたのもつかの間。ホトケノザは冬の雑草の中でもやっかいなものです。

花は赤紫色の可愛いものです。立ちあがって先端に咲きますが、良く見ると
下の部分にも小さなつぼみのようなものがたくさんついています。
この『可愛さ』につられ、つい、冬場残してしまうと結構後が大変です。
雑草の花を見るというのは、即『花=結実』、つまり種がばらまかれるということです。

可愛いたくさんの紅色の花の数×大量の種が発生します。しかも、
ホトケノザは、『閉鎖花』と言って、花が咲かなくても小さなつぼみの中で
受粉して種ができます。可愛い花の下の小さなつぼみ群の中でもせっせと
種づくりをしているのです。それが地面にばらまかれるので、毎年この時期に
地表面を埋めるがごとく、とてつもない量のホトケノザの小さな双葉が発生しています。

生育するにしたがって、とても細い根が、たくさん出て土中に張ります。
地中深く根を張って生き残るタイプではなく、浅い土でも細かい根で
しがみつく?タイプです。
そこそこ大きくなった頃、気温も下がって、土が凍るような時期になります。
午前中の作業時間には、土が水分でべっとりしている上に、根が細かい土を
抱え込んで、いわゆる『根圏土壌』ごと、マットのようにはがれていくので、
とても扱いづらくなり、土が取られてしまいます。それを落とす作業も大変です。

とまあ、いつも雑草との格闘の中で、相手を観察しているのですが。
生きていく戦略とたくましさは、敵ながらあっぱれです。
ちなみに秋の七草の中のホトケノザはキク科のタビラコというものです。

順応力


2014年9月26日

秋晴れの中。
朝早くに灌水作業、通常時間に、個人邸の除草剪定と現場が分かれました。
私は、敷地中央のシマトネリコの下の作業台で10個ほどのハンギングづくりをしました。
この夏は忙しく、花壇はいわゆる『紺屋の白袴』?状態で、植物はやや荒れ気味です。
Uさんが、作業の合間を縫っては除草してくれていますが、追いつきません。
それでも、『炎天下』ではなく、キンモクセイの香りの混じった涼しい風の中、
虫の音を聴きながらの作業は、大好きな時間です。

『今月の花』担当のハナミズキさんが画像を撮りに来てくれました。ネタがあまりないので
やや苦戦気味ですが、そこはいろいろ工夫しながらの撮影です。
植物に癒されている私を見ながら、「そうね。植物に関わる人はストーカーに・・・・・って言うしね」と
つぶやきました。植物とストーカーと言う意外な組み合わせでしたが、肝腎の「・・・・」が
聞き取れなかった私は、その部分に「狙われない」と言う言葉をはめ込みました。
その理由として、(そうか・・・植物の香りか何かが忌避剤として働くのか)と想像しました。
(そういえば私はカメムシの匂いが全く平気だから。案外フェロモンのようにカメムシ成分
が出るのかもしれない・・・)そこまで考えついて「なぜ?」と聞きました。
ハナミズキさんが、「だって、植物相手って思うようにならないことに慣れるでしょ。
だからストーカーにはならないらしいよ」と。完全な勘違いでした。

初めて聞いた『説』ですが。植物相手の忍耐力もさることながら、確かに、適応力というか
立ち上がりの速さは植物に近いかもしれません。

されど芝生・・・・


2014年8月5日

ようやく雨が降りました。
ホッと一息です。ホースを親指で抑え水圧を調節しながら撒くのですが、
さすがに5時間以上になるとK専務のように腱鞘炎になってしまいそうです。
先週の金曜日までの悲壮な気持ちが雨のおかげで肩の荷が下りた感じです。

そんな日曜日の朝。以前からご相談を受けていたお庭のリフォームのお話に
伺いました。もうすぐ赤ちゃんが生まれる若いご夫婦のお客様です。
受け継がれた家の建物はリフォーム済みですが、庭の方が以前のままでした。
特に、畑にされていた広い面の雑草対策を中心に、子育てをメインの
お庭にしたいと言われました。ご予算の範囲で、芝生をご希望されました。

全面ではなく一部は枕木やレンガや地被植物でアクセントをつけても、
芝生の面積が結構あるのです。
この1週間、芝生の維持にピリピリしていたこともありますが、
これまで芝生の行きつく先をさんざん見てきたので、思わず念のため
『覚悟のほど』を確認してしまいました。

植物というのは、建造物と違って、出来上がりが最終ではありません。
どちらかというと、維持が大切な要素になります。建物が時間の経過とともに
どんどん劣化していくのに対し、植物はかけた時間分、どんどん良くなって値打ちが
上がっていきます。また植物は変化します。それは、身近な風景に彩りを添えます。
さらに、空気の浄化や、目隠しや、日陰として機能的にも役立ちます。
ただ放置すると本来の人間の目的から外れたものになっていきます。

その管理にどれほど時間をかけられるのかということで、ご提案内容が変わっていきます。
色々お話をしていく中で、お二人がお庭を、ライフスタイルに合わせて変化するものと
捉えておられることが分かりました。お子様の成長に合わせて変わっていくであろう、
暮らしの中での芝生だということで理解しました。
そう言えば、亡くなった私の父がかつて周囲の反対を押し切って庭の一部を芝生に
しました。もちろん途中で芝生は他のものに変わりました。我が家のアルバムの中に
初孫である長男が赤ちゃんのときに、緑の芝生で一緒に寝転んでいる写真があるのです。
父の幸せそうな顔に、ある種の『夢』がかなえられた達成感のようなものを、
今は感じることができます。

やはり『されど芝生』です。

 

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