2019年4月(April)

4月になりました。桜の季節です。桜はイネの種播きの頃に咲くので、古くから穀物の神の依代(神霊が寄りつくもの)と信じられ、満開の桜は秋の豊かな実りの象徴とされていたそうです。確かに、何か神聖なものが宿っているような、厳かな美しさがありますね。
ヒマラヤユキノシタ(ユキノシタ科)
ヒマラヤ・中国・シベリア原産の常緑多年草です。早春のまだ寒さが残る時期に花茎を伸ばし、その先に優しいピンク色の花が集まって開花します。株の成長はゆっくりですが、一度根づくと何年もほとんど放任でも手間もかからず、グランドカバーにも利用されます。大きくて丸いうちわのような葉の形から「オオイワウチワ(大岩団扇)」耐寒性が高いことから「ウインター ベゴニア」とも呼ばれます。中国ではこの仲間を「岩白菜ヤンパイツァイ」と呼び、薬として利用しています。
ヒヤシンスキジカクシ科)
ギリシア~シリア~トルコ原産の秋植え春咲き球根。水栽培で知られていますが、鉢植えや花壇にも利用されます。地際からやや肉厚で幅のある葉を放射状に広げ、中心から太い花茎を伸ばし穂状の花を咲かせ、強い芳香があります。ヒヤシンスの名前はギリシア神話に出てくる美少年ヒアキントゥス王子の名に由来するとされます。幕末に日本に来た時に「風信子」という漢字があてられ、「飛信子」「風信草」「風見草」他にも「夜香蘭」「錦百合」など多くの異称があります。「風信」とは風の便りの事で早春の風に漂う甘い香りを思わせますね。
  ムスカリ(キジカクシ科)
地中海沿岸~南西アジアに分布する球根植物です。ムスカリの名前はギリシャ語の「麝香(ムスク)」に由来します。(強い芳香を放つムスカリ・モスカツムがあります。)花姿がブドウの房のように見えるので、英名はグレープヒヤシンス。青紫、白、黄、黄緑の壺形や長だ円形の花を1本の花茎にたくさん咲かせ、開花後には葉が枯れ、球根の状態で夏を越します。写真はムスカリの代名詞となっているムスカリ・アルメニアカムです。濃い青紫色の花で草丈も低く控えめですが、群植すると非常に見事です。
スノーフレーク(ヒガンバナ科)
中部ヨーロッパ原産。日本では春に開花しますが、原産地では夏に開花し、「サマー・スノーフレーク」の英名があります。釣鐘状の花がスズラン、幅がある細長い葉がスイセンに似ているところから、スズランズイセンとも呼ばれます。地際から花茎を伸ばし、その先端に数輪の花を咲かせます。白い釣り鐘状で花びらは6枚、花びらの先端には緑色の斑点が入ります。初夏には葉が枯れて休眠に入ります。スノードロップと混同されがちですが分類上も全く異なり、スノードロップは早春に、スノーフレークはサクラの咲く頃に開花します。
サンシュユ(ミズキ科)
朝鮮半島原産の落葉樹で、大きくなると高さ6mほどに達します。春を告げる花木のひとつとして切り花や庭木、公園樹として親しまれています。主な開花期は3月~4月上旬で、葉が芽吹く前に5mmほどの黄色い小花を枝いっぱいに咲かせ、満開の花が黄金色に輝くように咲く姿から「ハルコガネバナ」の別名があります。10月頃グミに似た楕円形で光沢のある真っ赤な果実を付けるのでアキサンゴとも呼ばれます。タネを取り除いて乾燥させた果実は薬の原料となり、八味地黄丸などに用いられます。
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        結婚式  
 ユキヤナギ、レンギョウが開花したかと思うと、桜が咲きはじめ、日当たりのいい暖かな場所は満開です。チューリップ、ヤマツツジも早くも咲き始め、様々な花がいっせいに街や庭を彩っています。
花の香りを含んだ風、明るいけどちょっと物憂げな光。
この季節は何もかもが美しいので、私は貪欲に春の一瞬一瞬を心に焼き付けたくなります。
私事ですが、先日長女の結婚式でオーストラリアに行ってきました。
2018年1月の「今月の花」に登場した「同僚」とご縁があったのです。
あの時、私は長女の同僚に連れられて、その人の実家に行きました。
そして、国は違うのに(カナダとオーストラリア)、モンゴメリの「赤毛のアン」に出てきそうな光景に驚いたものでした。
モンゴメリの小説に出てきそうなその家が、長女の新しい故郷になりました。
結婚式も、国は違うのにやはり「赤毛のアン」の世界でした。
アンがグリーンゲイブルズでダイアナとマリラに送り出してもらったように、長女は彼の家で彼の妹と彼の母に支度をしてもらい、果樹園ではなくボタニカルガーデン(植物園)で結婚式をあげました。
美しい自然に包まれて誓いの言葉、多くの人のアットホームで温かい祝福。
知らない土地で、言葉もわからないのに、何故かとても懐かしい気持ちになりました。
私は、幼い頃から「赤毛のアン」の世界が大好きで、今も心の一部をプリンスエドワード島に置き忘れているような気がしています。
その懐かしい様々な光景が、娘の結婚式を通じて蘇ってきました。
もちろん、これからはずっと遠く離れて暮らすわけで、「寂しくない」と言えば嘘になります。
寂しさは、きっとこれからじわじわと押し寄せてくるのでしょう。
でも娘をしっかりと守ってくれる人に託せた、安堵の気持ちのほうが大きいです。
そして、あの美しい自然の中で、自然を大切に思う人たちと共に生きていくのは、多分とても幸せな事でしょう。
これでいよいよ、母親業から卒業です。
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