2018年6月(June)

 6月になりました。6月は水無月以外にも、涼暮月、葵月、常夏月、そして風待月という美しい呼び名があります。蒸し暑い日が多くなり、ほんのささやかな風にも、喜びを感じる季節なのでしょうね。
キンギョソウ(オオバコ科)
地中海沿岸原産。花が金魚の泳ぐ姿に似ているのでこの名がつきました。中国名も金魚草です。英名はsnap-dragon(かみついた龍)、フランス語はgueule-de-loup(オオカミの口)とすべて花の形からの由来です。写真は銅葉キンギョソウ 「ブロンズドラゴン」で、紫の葉・茎と花色とのコントラストが美しい品種です。草丈20㎝の矮性種~100㎝になる高性種があり、数多くの品種が流通しています。高温多湿に弱いのですが、一年草として扱えば育てやすく、品種によってはこぼれ種でよく増えます。
 ホタルブクロ(キキョウ科
東アジア原産。日本では古くから親しまれている野草です。地中を横にほふく枝を出し、そこから茎を直立させて株が広がります。初夏に、先端が開いた釣り鐘状の花を咲かせます。雄しべが熟し花粉を→花柱→虫と付着させて、雌しべが熟し柱頭が3つに分かれて受粉可能になります(雄性先熟)。こうして自家受粉を避けています。名前の由来は提灯の古名「火垂る袋」が転じた、子供がこの花でホタルを包んだ、など諸説ありますが、ホタルのいる水辺にはあまり自生していないので、後者には疑問を持つ人もいます。
デンジソウ(デンジソウ科)
クローバーやカタバミのように見えますが、多年生の夏緑シダで水田・池・沼などの湿地で生活する水草です。葉が田の字形に並ぶ形から「田字草」の名前があります。新しい葉は最初はゼンマイのように巻いています。雌雄両方の胞子を含んだ胞子嚢果を作りますが、この胞子嚢果の殻は硬く、乾燥にも強く、20年以上も生きていられます。地下茎を枝分かれさせて栄養繁殖することができます。栄養繁殖とは、植物の体の一部が親の体から離れて生長する繁殖方法です。環境省の絶滅危惧種Ⅱ類に指定されています。
ラセンイ(イグサ科)
北半球の温帯原産。畳表に使われるイグサは直線状に細い茎をのばしますが、その園芸品種です。地下に根茎があり、そこから棒状の茎が「らせん」を描いて立ち上がります。その姿形がおもしろく、古くから草もの盆栽や山野草として栽培されていました。海外では水辺の植物として庭植えにも利用されています。乾燥には非常に弱いので、鉢植えの場合鉢の底に敷いたお皿に水をためておき、常に土が湿っているようにします。5月-6月、茎の先端に茶褐色の花が房状につきますが、写真のように非常に地味です。
イブキジャコウソウ(シソ科)
北海道、本州、九州、朝鮮半島原産。涼しい環境を好み、緯度によっては様々な高度に分布しますが、基本は高山植物です。伊吹山に多く、芳香があるのでこの名が付きました。細い枝に小さな葉を四方に茂らせて地を這い、草のように見えますが、ごく小型の木です。初夏~夏に小さな花をふんわり一面に咲かせます。花は唇形で、上唇はわずかに2裂して直立し、下唇は3裂します。ハーブとして人気のタイムと近い種類ですが、タイムより花つきが良く・香りが強く・強健です。冬は葉をつけた状態で雪の中で冬越しします。
  ロータス・ベルセロッティ(マメ科)
カナリー諸島原産の常緑多年草です。ロータスとつきますが、ハスを意味するlotus ではなく、マメ科植物のギリシア名ロトスlotosに由来します。茎は立ち上がらずに横に這うように伸びていきます。銀色がかった緑の細いふわふわした葉をカラーリーフとして楽しみますが、別名をオウムのくちばしというように、オウムのくちばしに似た赤い花も特徴的で面白いです。耐寒性がなく、戸外で越冬できません。高温多湿に弱いので、夏は半日陰の通風のよい場所に置きます。
 青嵐(あおあらし)  
 6月になりました。
木々の緑はどんどん深みを増し、散歩道にしっかりと涼しい木陰を作ってくれています。
最近、ちょっと頑張って長く歩くようにしていますが、日々変わりゆく葉の色や花に、季節の移ろいの早さを感じています。
陽射しの暑い日や、湿度の高い空気の澱んだ日もありますが、ザ~~っと木々を揺らして、青い香りを含んだ風が、颯爽と吹く日もあります。
こんな風が吹き抜ける時、母校で歌い継がれた曲の一節が思い浮かびます。

♫  ああ、香はし(かぐわし)の青嵐(あおあらし)
あああ山波湧きて、駆くるかな  ♫

きれいなメロディーと歌詞が好きで、みんなでよく歌っていました。
でも、当時は青嵐の香わしさも、颯爽と駆け抜ける清々しさも、よく分かっていなかったような気がします。
自然の美しさに目を向ける余裕もなく、夢に向かって、課題に追われ一生懸命な日々でした。
学業だけではありません。
少しだけ大人の世界に足を踏み入れたファッション、音楽、映画、洗練された会話やしぐさ・・・
身につけなければいけない事は、身の回りにいっぱいありました。
みんなが一生懸命、はるか前にいる「なりたい自分」「なるべき自分」を追いかけて走っていました。
時々、懐かしくあの頃の事を思い出しますが、当時の自分達の必死さが、たまらなく愛おしかったり、空しかったりします。
長い年月が流れ、人生の折り返し点も過ぎた今、改めて若かったあの頃を振り返ってみると、一生懸命に走っていたあの頃は、自分達自身が「青嵐」だったのかもしれませんね。

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