2015年7月(July)

 7月になりました。七夕が行われる7月7日は小暑です。もうすぐ梅雨も終わり、この頃に吹く南風を、白南風(しらはえ)と言います。黒い雲が去り、空が明るくなるからです。いよいよ暑さが本格的になってきますね。
ヘメロカリス(ユリ科)
日本・中国原産のユウスゲやカンゾウ類を品種改良した園芸品種です。花が一日だけ咲くので「デイリリー」、ギリシア語でへメロ(一日)カロス(美)なので名前の由来は同じですね。とても丈夫で、様々な大きさや花色があります。エコ・ワークスの庭でも←の浅間の白雪や↓の4種のようにバラエティー豊かです。

         

カラー(サトイモ科)
南アフリカ原産で、湿地性と畑地性の2タイプがあり性質や育て方が異なります。長い棒状の花茎に、くるりと巻いたような美しい仏焔苞(葉に似た組織)を持つ花です。カラーとはギリシャ語でカロス(美しい)より由来しています。 カイウ(海芋)という和名は本来はミズバショウを指すものでしたが、江戸末期に我が国に導入されたカラーにも適用されました。花言葉は「乙女のしとやかさ」「華麗なる美」「清浄」
クリスマスブッシュ(クノニア科)
オーストラリアニューサウスウェールズ州の固有種です。原産地では、高さ10m程度に生長する常緑高中木です。日本と季節が反対のオーストラリアではクリスマスの到来を告げる花木として親しまれています。最初は白い小花が枝先に無数に咲き、開花後蕚片は落ちないで肥大し、赤く色づきます。その様子は、まるで樹一面に赤い星形の花が咲いているかのように見えます。蕚片は1ヶ月は落ちないので長く楽しめます。
アガパンサス(ユリ科)
南アフリカ原産の多年草。ギリシア語のアガベ(愛)とアンサス(花)から「愛の花」という意味です。和名は「ムラサキクンシラン」ですがクンシランは別属です。外見がクンシランに似て紫色の花を咲かせる事に由来します。地際から出る光沢のある葉の間から花茎を伸ばし、先端に放射状に花をつけます。花色は紫、青紫、白などがあり、満開時は華やかです。花が終わったら、花茎の付け根から切り落とします。栄養が種を作るのに取られてしまうからです。花言葉は「恋の訪れ」

アンゲロニア(ゴマノハグサオオバコ科に分類される場合もあります。
中央アメリカ・西インド諸島原産の常緑性の多年草ですが、日本では冬に枯れてしまう事が多いです。ギリシャ語の天使(Angelos)からこの名がつきました。初夏~秋、茎の上部、葉の付け根に次々とつぼみを付け開花します。花色は白、紫、ピンク、紫がかったブルーなどで、白と紫のツートンカラーになるものなどもあります。写真はエンジェルフェイスと呼ばれる園芸種で背丈が高く花が大きく豪華です。花言葉は「
過去の恋人」
イトバハルシャギク(糸葉波斯菊)(キク科)
北アメリカ原産でコレオプシス属の丈夫な多年草です。「波斯」はペルシャのことで、漢字では「春草菊」とも書きます。草丈は30~40㎝くらいで名前の通り葉は細く切れ込んで糸状に分裂し、輪になって生えます。たくさんの花が集まった頭状花で中央の筒状花と周辺の8個の舌状花でできています。開花期は6~9月です。コスモスに似ているので宿根コスモスの名でも流通しています。

ええ加減
 

   梅雨特有のじっとりと蒸し暑い季節になってきました。日中を快適に過ごすのは難しいですが、朝は爽やかな日が多いです。
夫を送りだした後、涼しい朝の庭で過ごすひと時は、私にとって至福の時間です。しっとり、ひんやりした空気は、植物たちの生命エネルギーが漂っているような気がします。そんなエッセンスをいっぱいに吸い込み、庭作業をします。
ヤマモモの実を収穫し、レンガの間からひょこっと生えた雑草を抜き、伸びすぎた小枝を切り、ゴーヤのツルを整えます。ゴーヤの葉の陰からは、赤ちゃんゴーヤが姿を見せます。剪定したローズマリー、ラベンダー、レモングラスからは、芳香が漂います。
我が家の庭は土の部分が少なく、植えている植物も多くありません。楽しみながらゆっくりしても、朝の気持ちの良い時間だけで終える事ができます。もっと植物が多くて、自動灌水が付いていなければ、多分こうはいかないでしょう。多すぎる庭仕事は、楽しみや癒しではなく、義務や責任になってしまいます。今がちょうどいい加減なのでしょう。

 話は大きく変わりますが、私の子どもは今、海外で働いています。日本語のほとんど通じない、知り合いもいない国へ一人で飛び込んで行きました。
私はそんなわが子が心配で、向こうが希望すればいつでも応じる事が出来るようにと、一日中スカイプ(無料のテレビ電話)を起動していました。子どもが五年前に海外に住んでいた時には「日本語に飢えてる!」と毎日アクセスがあったものでした。ところが、今回はほとんどアクセスがありません。会話どころかメッセージが一言二言来るだけです。聞いてみると、最近は、スマホとラインで誰でも簡単にアクセスできるため、日本の友人からたくさんメッセージが届くらしいです。みんなが心配して、どんどん発信してくれるので、親の気遣いはむしろ迷惑だったようです。
どんなに楽しいパーティーも、毎日だと楽しめません。どんなに美味しい料理も、多すぎると苦しさが 印象に残ってしまいます。(バイキングでよく経験します。)人間関係も、あまりにも至れり尽くせりの人には、時として窮屈な気持になってしまいます。
先月の記事でも書きましたが、私の両親は自動灌水をつけて楽になったので、庭が楽しみになりました。「頑張る」ではなく、「ええ加減(ちょうどいい加減)」に暮らすのも、なかなかいいですよね。

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