梅雨特有のじっとりと蒸し暑い季節になってきました。日中を快適に過ごすのは難しいですが、朝は爽やかな日が多いです。
夫を送りだした後、涼しい朝の庭で過ごすひと時は、私にとって至福の時間です。しっとり、ひんやりした空気は、植物たちの生命エネルギーが漂っているような気がします。そんなエッセンスをいっぱいに吸い込み、庭作業をします。
ヤマモモの実を収穫し、レンガの間からひょこっと生えた雑草を抜き、伸びすぎた小枝を切り、ゴーヤのツルを整えます。ゴーヤの葉の陰からは、赤ちゃんゴーヤが姿を見せます。剪定したローズマリー、ラベンダー、レモングラスからは、芳香が漂います。
我が家の庭は土の部分が少なく、植えている植物も多くありません。楽しみながらゆっくりしても、朝の気持ちの良い時間だけで終える事ができます。もっと植物が多くて、自動灌水が付いていなければ、多分こうはいかないでしょう。多すぎる庭仕事は、楽しみや癒しではなく、義務や責任になってしまいます。今がちょうどいい加減なのでしょう。
話は大きく変わりますが、私の子どもは今、海外で働いています。日本語のほとんど通じない、知り合いもいない国へ一人で飛び込んで行きました。
私はそんなわが子が心配で、向こうが希望すればいつでも応じる事が出来るようにと、一日中スカイプ(無料のテレビ電話)を起動していました。子どもが五年前に海外に住んでいた時には「日本語に飢えてる!」と毎日アクセスがあったものでした。ところが、今回はほとんどアクセスがありません。会話どころかメッセージが一言二言来るだけです。聞いてみると、最近は、スマホとラインで誰でも簡単にアクセスできるため、日本の友人からたくさんメッセージが届くらしいです。みんなが心配して、どんどん発信してくれるので、親の気遣いはむしろ迷惑だったようです。
どんなに楽しいパーティーも、毎日だと楽しめません。どんなに美味しい料理も、多すぎると苦しさが 印象に残ってしまいます。(バイキングでよく経験します。)人間関係も、あまりにも至れり尽くせりの人には、時として窮屈な気持になってしまいます。
先月の記事でも書きましたが、私の両親は自動灌水をつけて楽になったので、庭が楽しみになりました。「頑張る」ではなく、「ええ加減(ちょうどいい加減)」に暮らすのも、なかなかいいですよね。
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