2016年9月(September)

9月になりました。9月7日は白露です。夏の湿った空気が、秋の夜長と放射冷却で露ができるそうです。日本では、白は雪=冬をイメージしがちですが、中国の陰陽五行では秋の色とされています。白い朝露が光るひんやりした秋が待ち遠しいです。
ヤノネボンテンカ(アオイ科)
中央~南アフリカ原産の草本性落葉低木で、園芸用に渡来したものが野生化しました。ムクゲに似た5~6cmの小輪の花ですが。中心が濃赤紫色で目立ちます。1日花ですが午前中に閉じる花や閉鎖花も多いです。開花して他家受粉する、雌しべが動いて自家受粉をする、閉鎖花で自家受粉する、の3重のしくみです。同じアオイ科のボンテンカに似ていて、鏃(やじり)のような葉を持つのでこの名が付きました。タカサゴフヨウ、ミニフヨウとも呼ばれます。繁殖力が強いので増えすぎに注意が必要です。

ペンタス(アカネ科)
熱帯アフリカ、マダガスカル原産で、初夏~秋の長い間、星形の花をまとまって咲かせます。暑さには強いですが寒さに弱く、一年草として扱われます。名前はペンタ(ギリシャ語で5)に由来し、花びらが5つに裂けているのでこの名が付きました。英名はEgyptian star cluster(エジプトの星の群れ)です。同じアカネ科のサンタンカに花姿が似ていて草花(サンタンカは木)なのでクササンタンカとも呼ばれます。花言葉は「願い事」「希望は実現する」。
  パープルファウンテングラス(イネ科)
南アフリカ原産。別名ベニセタム・セタケイム・ルプラスで、道端に見られるチカラシバの仲間です。銅色の葉とねこじゃらしのような赤い穂が魅力的で、とてもシックです。特に秋は葉色が深くなり、穂もしっかり色が出て、秋の 風情が楽しめます。花期は7~11月。春から秋は非常に丈夫ですが、非耐寒性なので大きく育つと冬越しは難しいです。小分けにして冬の間は乾燥させて、凍結しないようにします。
  ケイトウ(ヒユ科)
インド・熱帯アジア原産です。太い茎の上に、トサカ(鶏頭冠)のように、肉厚の花をつける姿が印象的です。一般的に花と呼ばれている部分は、茎が変化して着色したもので、実際の花はその下に無数に密生しています。花色が豊富で暑くて湿気の多い日本の気候によく適応し、長期間花を咲かせます。写真は久留米ケイトウで、花が球状になり、てとても見栄えがします。花言葉は「おしゃれ」「色あせぬ恋」「風変り」
  アンゲロニア(ゴマノハグサ科オオバコ科に分類される場合もあります。)
中央アメリカ・西インド諸島原産の常緑性の多年草ですが、冬は戸外では枯れてしまう事が多いです。ギリシャ語の天使(Angelos)からこの名がつきました。もともとは草丈1m近くに達するやや大型の植物です。株元からたくさんの茎を伸ばして茂り、初夏~秋、茎の上部、葉の付け根に次々とつぼみを付け開花します。エンジェルラベンダーの商品名で流通する時もありますがラベンダーの仲間ではありません。花言葉は「過去の恋人」
  アロニア・メラノカルパ(チョコベリー/チョークべリー)(バラ科)
北米原産でロシアで育種改良されました。花が鑑賞でき、果実が成り、秋の紅葉も美いしので四季折々に楽しめます。耐寒性がある落葉低木で、チョコレートベリー・チョークべリーとも呼ばれます。アントシアニンの含有量はブルーベリーの数倍です。ただ、あまり美味しくないので加工用に使われます。ロシアでは、黒い実のナナカマドと呼ばれ、薬品や健康食品に利用されています。赤実の品種アロニア・アルブティフォーリアは実は美しいのですが食用にはできず鑑賞用にされています。
  緩やかなご縁
台風の影響で少し涼しくなりましたが、厳しい暑さは続きます。
陽のよく当たる空き地や道端では、本来たくましいはずの雑草までが、茶色く枯れています。
このような気候の中でも、エコ・ワークスの植物たちは、青々とした葉をいっぱいに繁らせています。自動潅水の効果は大きいようです。

この夏には多くの方が故郷に帰省し、懐かしい日々を過ごされた事と思います。
私も、夫の故郷へ帰省しました。
お盆には、きょうだいが集まって、あれこれ準備をします。
花や果物・蓮の葉・ホオズキを飾り、茄子ときゅうりで牛と馬を作ります。
煮物は小さなお膳に盛り付け、14日はおはぎ15日はそうめんを供えます。
13日のお迎え団子は白い粉をまぶし、16日の送り団子はきな粉をまぶします。
そして、何よりの先祖への供養は、集まって思い出話をする事だそうです。
みんなで座卓を取り囲んで、とりとめない思い出話が始まります。
実は、私は結婚したばかりの頃は、あまり話に入っていけませんでした。
知らない親戚の話、夫たちの子供の頃の話、昔住んでいた町の話はいくら聞いても、遠い話でした。
当時元気だった祖母が、おしゃべりの中心だったのですが、方言が強くて、まるで外国語を聞いているようで、なかなか理解できませんでした。
私はただ、あいまいに笑いながら、何となく合わせていたものでした。
あれから長い年月が過ぎ去りました。
年月を重ねると、共有できる思い出も増えます。
みんなで海辺の民宿に泊まった事、花火を見に行っていた時に、義父母に預けていた長男が大泣きして大変だった事など、
思い出話で私たちは盛り上がり、今度は姪家族たちが合わせてくれています。
面白いものです。血のつながりはないのに、共に暮らした事もないのに、何か古くからずっとつながっていたかのように、懐かしくて寛げる関係ができあがっています。
これがご縁というものなのでしょうね。
「絆」という言葉は、ちょっと息苦しい感じがしますが、「ご縁」という言葉は、緩やかでほのぼのしています。
お盆とは、先祖と子孫が記憶の中で緩やかに交流し、ご縁を確かめる機会なのかも知れません。
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