あ自然豊かな泉北ニュータウンは、今が一年で一番美しい季節かもしれません。
明るい光を浴びて、ユキヤナギ・レンギョがくっきりと道端を彩ります。
茶色だった地面は、一面柔らかな緑に覆われて、目を凝らすとぽつぽつとタンポポの黄色い花が見えます。
桜が咲くと、街はいっそう華やぎます。
私はその一瞬一瞬の、美しいシーンすべてを、貪欲に目に焼き付けたくなります。幸せな季節です。
あ先日、雑誌で、玄侑宗久さんの「ないがまま」という言葉に出会いました。
最近、「断捨離」「ミニマリスト」など、シンプルな暮らしが好まれていて、私もそんな流れが好きなので、興味深く記事を読みました。
とても難しかったです。でも、私の拙い理解力で、一部取り上げてみますね。
あ
「あるがまま」は本来の自分を肯定し、そのままの自分で良いと考える事で、やや自分の現状にこだわります。
それに対し、「ないがまま」は常に蓄積されない「今」を出発点に置き、変化への対応を肯定します。
そして、「ないがまま」の自分とは、思慮も分別もそぎ落とした状態の自分を意味します。何もない「今」が出発点なので、心が自在に動き、とても生産性の高い状態なのだそうです。
お辞儀も「こんにちは」という挨拶も、気分を一新して新たに起ち上げる意味があるそうです。
あ
あ禅の世界はとても深くて、きちんと理解することはできそうにありません。
でも、「ないがまま」「ないがまま」と口にしていれば、とても楽になれそうです。
そして、澱んだ思いを手放せば、その空いた所に新鮮な気や物が入ってきそうです。
記事によると、「加齢による喪失」は「大いなる余白」をもたらしてくれるので、むしろ喜ぶべきとか。
多くの若い人たちが、新しい節目を迎えるこの 四月、私もとりあえず「ないがまま」とつぶやいて、「余白」を広げる事から始めようと思います。 |