2015年10月(October)


 10月になりました。秋の風は「色なき風」「爽籟」と言われるそうです。確かにこの時期の風は、春風のように花の香りで色を連想するというよりは、肌に感じる爽やかさのほうが印象に残りますね。透き通った空も、虫の声も、大きなくっきりした月も秋そのものですね。
コムラサキシキブ(クマツヅラ科)
日本原産で山麓の湿地や湿った原野に生える落葉低木です。コンパクトな樹木なのに実がびっしりとボリュームがあり美しいので庭木として普及しました。6~7月に淡紫色の小さな花を咲かせ、9~11月に3mmくらいの紫色の果実が熟します。紫の実の清楚な美しさを紫式部に重ね小ぶりなのでこの名がつきました。コムラサキ・コシキブ(こちらは小式部内侍にちなむそうです)とも呼ばれます。ムラサキシキブは枝垂れず実が疎らに付くのに対し、コムラサキシキブは枝垂れて実がびっしりと固まってつきます。とても丈夫で半日陰でも実がつきます。花言葉は「聡明」
ジニア(ヒャクニチソウ)(キク科)
メキシコ原産で初夏~晩秋にかけての長い期間開花します。秋になり気温差が出てくると花色がいっそう鮮やかになります。カリフォルニアで盛んに栽培され20世紀に入って個性的な品種が数多く作られました。花の大きさも様々で花色も豊富、一重・八重・ポンポン咲きがあり、草丈も20cm~1mなど様々です。別名「百日草」「長久草」「浦島草」で英名は「common zinnia」「youth and old age」ですべて花期が長い事に由来します。花言葉は「遠い友を想う」「いつまでも変わらぬ心」。
  ケイトウ(ヒユ科)
インド・熱帯アジア原産です。花が鶏のとさかに似ているので「鶏頭」です。日本には奈良時代に入ってきて韓藍(からあい)の名で万葉集にも登場します。本当の花は小さくとさかの下に咲きます。花色が豊富で湿気の多い日本の気候によく適応し、長期間花を咲かせます。トサカ系・久留米系・キルドシー系・プルモサ系がありますが、写真はキルドシー系で、ヤリゲイトウとも呼ばれますす。葉と花はアフリカや東南アジアでは食用にされています。花言葉は「おしゃれ」「色あせぬ恋」「風変り」

  クジャクソウ(キク科)
北アメリカ原産。よく分枝し白色や淡紫色の沢山の花を咲かせる姿が華やかで、孔雀の尾に例えてこの名が付きました。キダチコンギク(木立紺菊)、クジャクアスター、宿根アスターとも呼ばれます。6月頃に切り戻さないと高くなりすぎて秋に倒れてしまいます。マリーゴールド(コウオウソウ)やクジャクシダやハルシャギクもクジャクソウと呼ばれる事があるようですが、一般に生花店でクジャクソウというと、このクジャクアスターを指す事が多いです。花言葉は 「いつも愉快」「ひとめぼれ」
  ミセバヤ(ベンケイソウ科)
日本原産の多肉性宿根草で主に岩場に自生します。玉緒(たまのを)とも呼ばれます。葉は円形で厚みがあり、フチにゆるいぎざぎざが見られ、茎を囲むように3枚の葉が付きます。茎はしなるよう横から下に伸びます。10月-11月頃に紅色の小花を茎の先端に球状に開花します。秋が深まると葉が美しく紅葉します。高野山の僧がこの花を見つけ、和歌の師匠である冷泉為久卿に送る時に「君に見せばや(君に見せたい)」と添え書きをつけたのでこの名がついたといわれています。
 ヒポエステス(キツネノマゴ科)
マダガスカル原産の多年草で、生長すると高さ1mほどの低木状になります。葉の表面全体に細かい斑点が入るところから、ソバカスソウとも呼ばれます。英名のfreckle face(そばかす顔)やbaby’s tear(赤ちゃんの涙)なども葉の斑点に由来します。葉はタマゴ型で、若葉は明るい黄緑色でその後、濃緑色になります。一番の特長である斑点は白やピンク、赤などカラフルです。園芸品種には斑点が濃くて密に入るものや、葉が小さくて可愛らしいものがあり、バラエティーに富んでいます。小さな花を咲かせますが地味です。寒さにはやや弱いです。
       自然の摂理

  爽やかな季節になり、日の暮れるのが急に早くなってきました。窓を開けると、太鼓の音やわずかな煙の香りとともに、涼しい風が吹き込みます。
 透明な空気も、爽やかな風も、ふわっと空に広がっているうろこ雲も、秋そのものです。待ちわびた季節がやっと来てくれました。
先日、私は夫と旅行してきました。旅行自体は、お天気にも恵まれ、楽しいものだったのですが、普段は気にも留めていなかった色々な事に気づき、ちょっと考えてしまいました。
二人とも目が悪くなっていて、バスが近づいてきても、行き先表示がよく見えません。
「これ、どこ行き?」「何番?」「見えない!」「どうしよう?」「あっ!やっぱりこれみたい。乗ろう!」と慌てて乗り込んだかと思えば、耳も悪くなっていたようで
「今のアナウンス聞こえた?」「いや、聞こえなかった!」「次かな?」「わからん!」「あっ!やっぱりここで降りるんや!」と慌てて降ります。
案内板・あるいは表示板もなかなか見つからず、見つかっても遠くからでは読めません。ウロウロと遠回りしてしまうことが何度もありました。
慣れた土地では何となく体が覚えていてできていることが、旅先では実に苦労しました。普段はこういう事が得意なはずの夫は、現実を突きつけられて、戸惑っているようでした。
どんどん成長していた植物たちが、秋になって葉を落としていくように、私たちの人生も秋になり、老いは着々と進んでいたのですね。
少しショックでしたが、自然の摂理は、受け入れなくては仕方がないです。ゆっくりと下り坂の人生になっても、工夫すればきっとまた別の味わいも見つかることでしょう。もしかしたら、熟成の進んだ良いワインのように、何か魅力を醸し出せるかもしれません。そして、たとえできないことが増えていっても、まだまだできる事はいっぱいあり、人生はおおいに楽しめます。
とりあえずはこの美しい秋の光景を、自分にできる楽しみ方で、存分に楽しみますね。 

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