2015年3月(March)

 三月になりました。三月六日は啓蟄(けいちつ)です。大地が暖まり冬眠していた虫が、春の訪れを感じ、穴から出てくる季節です。寒さにじっと耐えていた自然が、動き出すのが感じられますね。 
リュウキンカ(キンポウゲ科)
日本~中国原産で、湿原や沼地に自生します。ミズバショウやザゼンソウの前に開花し、湿原の春を彩る花とされています。黄金のようにつややかな黄色い花が、立ち上がるように咲くことから立金花(リュウキンカ)の名がつきました。花弁に見えるのはがくです。夏には地上部は枯れて休眠します。若芽は山菜として食用可能ですが基本的に有毒です。花言葉は「必ず来る幸福」
ボケ(バラ科)
中国原産の落葉低木で、春の花木として親しまれています。早春にウメに似た丸い花を咲かせます。花色は赤や白で、1輪の花に両方の色が入るものもあります。小枝が鋭い棘になるものもあります。だ円形の果実は枝の細さの割には大きく、夏頃に熟して黄色くなります。実が瓜に似ていて木になる瓜→「木瓜(モケ)」→ボケが名前の由来のようです。現代の中国で「木瓜」と書くと「パパイヤ」を指します。花言葉は「早熟」「先駆者」
ゴールデンクラッカー(キク科)
南アフリカ原産の常緑低木です。別名ユリオプス・バージネウス。仲間に日本でも古くから親しまれているユリオプスデージーがあります。枝は松葉を細かくしたように細かく、その先端に1cmほどの黄色い花を枝いっぱいに付けます。その姿は「花がはじける」ようでゴールデンクラッカーの名前もそこから来ているようです。耐寒性は強い方で暖地では地植えでの冬越しが可能です。成長すると数mまで大きくなります。花言葉は「心躍る」です。

へーべ(ゴマノハグサ科)
オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカ原産の常緑低木です。欧米では広く植栽され、園芸品種も数多く作出されています。高さは小さなものから7メートルを超えるものまであります。総状花序に白色やピンク色、紅紫色の花を咲かせます。「へーべ(Hebe)」はギリシャ神話の英雄ヘラクレスの妻で、青春の女神「ヘーベ(Hebe)」の名にちなんでいます。別名は「トラノオノキ(虎の尾の木)」です。

オウバイ(モクセイ科)
中国原産の半つる性小低木です。葉が出る前に径3cmほどの黄色い花を咲かせます。漢字では「黄梅」と書きますがウメではなく(ウメは5弁オウバイは6つに分かれた筒状花)ジャスミンの仲間です。ただし、花に香りはほとんどありません。中国名「迎春花」、英名「ウインター・ジャスミン」、どちらも早春から開花するところにちなみます。枝はつるのように枝垂れて地面に付くとそこから根を出します。
アネモネ(キンポウゲ科)
地中海沿岸原産。別名ボタンイチゲ(牡丹一華)、ハナイチゲ(花一華)、ベニバナオキナグサ(紅花翁草)。一華とは一つの茎に一輪だけ花が咲く植物につけられますが、仏教では悟りを求める心のたとえに使われます。アネモネとはギリシア語で「風」を意味するアネモスに由来します。ヨーロッパでは古くから美しさとはかなさの象徴とされており、花言葉も「はかない恋」「恋の苦しみ」「見捨てられた」など悲しげなものになっています。


主なしとて 春な忘れそ
 早春ですね。寒い日もありますが、ほんのり物憂い暖かな空気にふれると、春を感じて柔らかな気持ちになります。
近所の梅林も、早咲きの梅はすっかり咲き揃い、遅咲きもちらほら咲きはじめています。
 最近、我が家のご近所では、空き家や空き地が増えてきています。
普段は忘れ去られたような殺風景な一角ですが、この季節だけは、大きな枝垂れ梅や、ぽつぽつと何本も植えられた梅の木が、白やピンクの花をいっぱい開き、とても華やいだ雰囲気になります。
ちょっと意味合いが違うのですが「主なしとて春な忘れそ」の言葉が思いうかびます。

我が家の隣に住んでおられた奥様は、とてもガーデニングがお好きだったそうです。私達が引っ越してきた時には、ご主人があとをついで、せっせとお世話をしておられました。
庭には大きな槇、梅 、金木犀の木があり、藤棚には藤だけでなくジャスミンも育っていました。我が家との境の低いフェンスの向こうは花壇になっていて、様々な植物が育っていました。 ご主人から、よくどっさりと切り花を頂いたものでした。
手入れの行き届いたお庭が、隣にあるというのは、とても幸運な事です。
まだガーデニング初心者だった私も、お隣を借景にすると、まるですぐれたガーデナーのように、美しい植物たちをいつも間近で見ることができました。ジャスミンの花咲く季節には、リビングまで芳香が漂ってきたものでした。
時は流れ、お隣は空き家になったり、あまり庭に興味のない住人になったりしました。雑草は人の背丈ほどになり、木が茶色くなっていました。誰も足も踏み入れさえしていないようでした。
そして最近、また住人が変わり、 庭は片付けられました。雑草は取り除かれ、枯れた木は伐採されました。槇は切り株になってしまい、藤やジャスミンも無くなりました。

でも、先日ふと気が付くと梅が咲いていました。傷んだ所を取り除かれて、ずいぶん小さくなってしまいましたが、それでも懸命に可憐な花をつけています。
庭って、住んでいる人の幸せがや活力が、溢れ出てくるものなのかもしれません。古い家でも小さな家でも、植物たちが生き生きと幸せそうな家は、住人も幸せな家のように思えて、とてもほのぼのした気分になります。これからはお隣の庭も、新しい主の元で生き生きとした姿を取り戻していくのかもしれません。

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