2014年12月(December)

 12月になりました。22日は冬至で、しかも19年に一度の「朔旦冬至」です。新月(朔)と冬至が重なる日で、月の復活と太陽の復活が重なるので、大変めでたいとされています。良い事がたくさん起こればいいですね。
エリカ(ツツジ科)
ヨーロッパ・アフリカ原産。種類が多く、花色も豊富で小さな花が一杯に咲く姿が可憐で人気があります。元々自生していた場所と同様の酸性土壌を好みます。スコッチウイスキーの醸造に不可欠なピート(泥炭)は、エリカやカルーナが土中に堆積してできたもので、その泥炭をいぶし、香りを加えてあのスコッチウイスキーが完成します。胆石を砕く薬効があるのでギリシア語のエイレケー(砕く)よりこの名がつきました。花言葉は「孤独」。写真はウィンターファイアーと呼ばれる冬咲きの品種です。
ツワブキ(キク科)
日本の暖地・台湾などで海岸の岩場や崖に自生している多年草です。別名は石蕗・艶蕗です。葉がフキのように丸く、光沢があるので艶葉蕗(つやばぶき)からこの名が付きました。美しく日陰でもよく育つので古くから庭園の下草として利用されてきました。晩秋に花茎を伸ばし黄色い花を咲かせ、花後はタンポポのような綿毛になります。沖縄では「ちぃぱっぱ」と呼ばれます。九州名産の「佃煮キャラブキ」はこのつわぶきで作られます。花言葉は「困難に傷つけられない」
シロタエギク(キク科)
地中海沿岸原産で、漢字で書くと「白妙菊」です。葉や茎には、細かい白い毛がつき、株全体がシルバーに見えることから、花壇や寄せ植えのアクセント素材に多く利用されています。寒さに強く、霜や雪に当っても元気に生育するため、花の少ない冬花壇を、明るく輝かせてくれる植物としても重宝します。6月中~下旬になると、可愛らしい黄色い花を咲かせます。
マホニア・コンフューサ(メギ科) 
中国原産の常緑低木。ナリヒラヒイラギナンテン(業平柊南天)との別名もあります。従来のヒイラギナンテンは葉が固く鋸葉で先端が針状になりますが、これは細葉で痛くなく、エレガントな樹姿です。丈夫で害虫も少なく、しかも花の少ない晩秋から初冬に黄色い花を咲かせることから、和洋どちらの庭にもピッタリの常緑低木として人気です。花は次の初夏に結実します。
ビデンス(ウィンターコスモス)  (キク科)
冬に咲くコスモスに似た花ということで「ウインターコスモス」の名前で普及しましたが、実はコスモスと違う属種で、コスモスより硬く丈夫です。葉の形がセンダンに似ているので和名は「キクザキセンダングサ(菊咲栴檀草)」です。可憐ですが、地下茎を伸ばし増えすぎて困る事もあります。寒さにも強く、よほど寒冷地でなければ越冬します。茎が伸びすぎると花が咲く頃に倒れてしまうので夏に短く刈り込みます。花言葉はもう一度愛します」「忍耐」
サザンカ(ツバキ科)
日本原産です。花の少ない冬に咲きます。イワハナビ、ヒメツバキとの別名もあります。山茶花は中国語でツバキ類を指す山茶に由来し、山茶花の本来の読みである「サンサカ」が訛ったものといわれます。ドイツの植物学者ツンベルクが持ち帰り世界に広め、サザンカの和名がそのまま学名となりました。ツバキと同様に実から油をとることができます。ピンクのサザンカの花言葉は「永遠の愛」です。
      冬茜

 木々を彩っていた紅葉がハラハラ舞い落ち、カサカサと道端に吹き寄せられています。絵になるけれど、ちょっと切なく、物悲しい光景ですね。紅葉の盛りが過ぎた、今の泉北ニュータウンも美しいです。
先日、夕暮れの空がとても美しくて、しばらく立ち止まってしまいました。気のせいかもしれませんが、この季節の夕暮れは、一段とすっきり美しいように思えます。
調べてみると、12月の季語に、「冬茜」という言葉があるそうです。
美しい言葉ですね。冬の寒さと対照的な、優しい茜色の夕焼けの空が、映像のように目に浮かびます。

 そう言えば、学校に通っていた頃、寒い時期に、こんな夕暮れを見て、心がほっと暖かくなった記憶が多くあります。
私の育った家は、学校からも駅からも、西の方角にありました。つまり、夕方帰宅する時には、いつも夕陽に向かって歩きます。 楽しい一日を過ごして、足取りも軽く帰る時もありましたが、そうでない日も多かった気がします。
テストの結果が悪かった日。
表現が下手で友人を傷つけてしまった日
気後れして、華やかな人達と上手く関われなかった日。
思春期には誰でも、悩みを抱えつつ、明るく振る舞っているというのが、今なら分かりますが、 当時は自分だけが、愚図で駄目な人間に思えていました。
寒い風に、足取り重く歩く私を、暖かな色の夕陽が照らします。玄関の所で元気をかき集め、できるだけ明るい顔と声で「ただいま~~」と帰宅したものでした。石油ストーブの匂いのする暖かい台所では、西日で染まった窓を背に、母が夕食の支度をしています。
時は流れ、今は疲れて帰宅する家族を出迎える立場になりました。帰るなり愚痴や文句をいっぱい口にする日もあれば、心に何か抱えているのに、私には話せない様子の時もあります。もちろん、求められてもいないのに、ずかずかと心の中に入り込んで、アドバイスする訳にもいきません。でも、遠くからさりげなく、心をほっと寛がせる、あの頃の夕陽のような暖かさを、ほんの少しだけでも伝えたいと思っています。

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