2012年7月(July)

   蒸し暑い季節になってきました。7月は愛逢月ともいうそうです。七夕にちなんだ呼び方です。時には夜空を見上げて、星の伝説に思いを巡らすのも良いかもしれませんね。
   ユリ(ユリ科)
アジアを中心にヨーロッパ、北アメリカなどに広く分布しており、原種は100種以上あります。風に吹かれてゆらゆらユラユラする事から「ユリ(揺り)」の名がついたとの説もあります。食用や薬用に使用されます。ちなみに「ゆり根」のほとんどはコオニユリの球根です。  『さはいへどそのひと時よまばゆかりき夏の野しめし白百合の花 』与謝野晶子
  アガパンサス(ユリ科)
南アフリカ原産の多年草。ギリシア語のアガベ(愛)とアンサス(花)から「愛の花」という意味です。地際から光沢のある細長い葉を何枚も出しその間から花茎を伸ばし、先端に数十輪の花を放射状咲かせます。花色は紫、青紫、白などがあり、満開時は華やかです。ラッパ型で横向きに咲くものが多いですが、下向きや上向きもあります。草丈は30cmくらいのコンパクトなものから1mを越す大型種まであります。
   カンナ(カンナ科)
熱帯アメリカを中心に約50種が分布する多年草です。カンナはギリシア語で「アシ(葦)」を意味し、アシに似ているのでこの名がつきました。草丈が1m-2mになる大型種と40cm-50cm程度の矮性種があります。6本ある雄しべが、1本を残してすべて花びらに、雌しべはへら状になります。花色は赤、ピンク、オレンジ、黄、白があり、葉も銅色、斑点や模様のはいるもの等多種多様です。
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   イブキジャコウソウ(シソ科)
タイムの仲間です。伊吹山に多く芳香があることからこの名がつきました。ややつる性でジュウタンのような群落を形成します。高さ5~15cmで木本類では最も矮性です。日本~アフガニスタンの温帯から寒帯に分布し、日当たりの良い山の岩場や草地、海岸などに生えます。葉の両面には小さい分泌腺が点在していて、触れると芳香が漂います。夏には、枝先に花穂をつくり淡いピンクの小さな花を多数着けます。 
   ガクアジサイ(ユキノシタ科)
関東南部から紀伊半島・四国の太平洋岸に自生し、中国にもあると云われています。栽培されている球状のアジサイの母種と考えられています。ガクアジサイの花は中央部の5枚の花弁と4-5枚の小さな萼片をもつ両性花と、周辺部の3-5枚の大きな萼片をもつ装飾花からなります。和名は装飾花を額縁に見立てたもの。アジサイともども広く栽培されており、栽培品種も多いです。 
   
    ヘメロカリス(ユリ科)
日本や中国原産のユウスゲやカンゾウ類を品種改良されてできた園芸品種ですが、広い意味で野生種も含みます。花が短命で一日しかもたないことから「デイリリー」とも呼ばれます。ギリシア語で「一日」を意味する「へメロ」と「美」と言う意味の「カロス」からこの名がついたのでデイリリーと由来は同じですね。大きさや花色など非常にバラエティーに富んでおり、性質もとても丈夫です。
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  多分、人は誰でも、昔から心の中にずっと思い描き、憧れている土地というものがあると思います。 私の場合、それは『プリンスエドワード島』です。小学生の時に父が買ってきてくれた「赤毛のアン」を読んで以来、モンゴメリの本はいつも私の傍にありました。「アン」「エミリー」「ジェーン」「パット」・・・ストーリー展開は全く様々なのですが、プリンスエドワード島の豊かな自然や、植物達の描写は共通するものがありました。そして、どの話でも不幸な子、心を閉ざしている女性、萎縮している女の子などが登場し、プリンスエドワード島で暮らしているうちに、自分を縛っていた殻や檻から抜け出し、本来持っていた魅力を開花させるのです。もしかしたら、当時の萎縮してさえなくて暗い自分の変身願望を重ねていたのかもしれません。
今でも池のきらきらした水面や、苔むした倒木、シダの群生、可憐な野生の花たちを見ると、懐かしさがこみ上げて来ます。きっと私の心の一部は、時々時空を超えてプリンスエドワード島に行っていたのでしょう。
先日、友人がプリンスエドワード島を訪れ、その写真を見せてもらう機会がありました。タイトルに使っている写真は、島に自生しているルピンです。ずっと文字から想像するだけだった、「恋人の小径」「お化けの森」「輝く湖水」「雪の女王」を写真で見ることができました。土の色が赤い事を除けば、透き通った水も、小川も、野生の花も、なだらかな丘も、そこに建つかわいい家も、何もかも想像していた通りでした。
ここしばらくは元気が無かった友人ですが、写真を見せながら島の話をしてくれる姿は、自然な活気が内側からにじみ出るようでした。うっすらと日焼けしたその肌も、どんなに島の自然と親しんだかを物語っていました。小説の登場人物のように、彼女も殻を破り、本来の力を開花させたのかもしれません。
私もいつか、懐かしいプリンスエドワード島に、行って見たくなりました。

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