バーナリゼーション


2012年12月16日

今日はポカポカ休日です。
穏やかな日曜日を迎えるのは、本当に久々です。このところ土曜日・日曜日は
いつもバタバタと過ごしていました。
昨日は最終の市場の仕入れに行って来ました。市場は例年のようにあわただしく年の瀬の雰囲気でした。
華やかな蘭やシクラメンの鉢がずらりと並んでいます。正月飾りもどんどん出ています。
ポインセチアがもうすっかり取り残った感じです。実際は今からクリスマスですが。
いつものように台車を引きながら、散らばって置かれている鉢を探して集めました。
軽トラックの容量を越してしまいそうな量をぎりぎりセーフで持ち帰ることができました。

今日は放置状態?だった、私の髪の毛を切りに行く予定です。
髪の毛を樹木に例えると、毎年きちんと剪定しているのと違って数年放置した状態になっています。
形を取るのも、廃棄処分の量も。通常よりオーバーで時間をかけてもらう感じです。
美容院に行く気がしなかったのは、いわゆる『円形脱毛』状態だったからです。
芝生にたとえるとパッチ状態というのでしょうか。
でも、芝生と違って、もっと簡単に修復可能なのは過去の経験で実証済みです。

人間の身体を植物に置き換えるという独断と妄想て、結構納得することが多い私です。
植物の場合は土が良ければうまく育つというあたり、人間に例えると。
人間の体内を土に考えると、どうかなあと思います。土づくり=身体づくりには
肥料にしろ、微量元素にしろ、良い水など。肥料を食べ物に置き換えられそうです。
もちろん健全な心も必要です。では植物の心とは・・・・となると袋小路に入ってしまいます。
何事も無理に植物に例えると確かに少々無理がありますが。
表題のバーナリぜーションとは、チューリップなど、植物が低温にさらされることによって
花芽がつくことを言います。
人間も同じなら、少々厄介なことや不遇なことに出会っても、みなさん(ソレ花芽がつくぞ!
後日花咲く!)と思えるはずですが・・・
ただ、自力で生きて光合成している植物と違って他力の人間にはそんな甘いものでは
ないかもしれませんが。

春に備えて


2012年12月11日

今日は三か所に現場が分かれました。
S部長中心の灌水工事組と、昨日の作業の続きと、個人邸の花の植え替え作業です。
灌水工事の方は新築のお宅なので、進行中の工事の合間を縫って、作業に入ります。
出来上がった状態で工事をするより、すっきりと仕上がります。
ただ他の方たちの工程を把握しておかなければなりません。
今日は順調に作業が終わりました。

路面電車沿いの花壇管理の作業には、撤去したコスモスの後に、3000球の
チューリップを植えこむので、そのための除草作業を含めた地ごしらえです。
チューリップは低温にあてないと花が咲きません。ぎりぎりの植え込みが今月です。
取り寄せた球根を年内に植えこみます。

私は一人で、北大阪のI邸に向かいました。
方向音痴の私でも、最近は一人で、大和川も淀川も超えて移動できるように
なりました。
もちろん、ナビのおかげです。もっともナビに何度も再検索させていますが。
I邸は以前自動灌水の工事もさせていただきました。
大きなプランターやハンギングバスケットを飾っておられ、それを植え替に伺います。
今日は春に向けて、ちょっと野原のイメージで、黄色いキンセンカやクリーム色のストックを
入れました。バックにあるハンギングは淡い紫系のものです。
キンセンカも最近は『仏花』のイメージのオレンジ色ではなく、
花弁が濃淡のものや、アンティークな淡いオレンジなど色々です。
名前まで『カレンデュラ』と学名風に、流通しています。
パンジーもフリルの入ったものや花首の長いものなど入れ込みました。
いつも管理についてのご質問も熱心にしてくださり、時にメールで、
開花状況を画像で送って下さることもあります。

下の画像は前回、初夏に植えこんだ花を1週間後(上)と、1か月後(下)に撮影して
送って頂いたものです。
この仕事では植え込んだ後の、植物の開花を見ることはできないことが多いので、
私も楽しませてもらっています。


植え込み1か月後

鬼子母神


2012年12月10日

冬型の気圧配置で、真冬並みの気温です。
朝は指先がかじかんでいます。今日はスタッフの皆には寒風の中
路面電車沿いの花壇管理の作業をしてもらいました。
随分長い間咲いていた、花や張りのあった葉が霜枯れ状態です。
さすがに木枯らしにゆれるコスモスは見たくありません。

当たり前の話ですが、屋外作業の多い私たちには、夏の暑さも過酷。
冬の寒さも過酷です。そんな中で、一生懸命作業をしながら得た
労働の対価だと思うから、つい必死になっていた私でした。
それでも、全く利害が対立する相手と、一人ずつ話しているうちに
それぞれの置かれている状況は異なっても。生きていくことに必死であることに
変わりがないことにも気づきます。
『自分の得たもの』への執着の源は、己自身のためでもあり、守るべき家族の場合
であることも同様です。

表題の鬼子母神は、インドの伝承の中で、千人の子供を産んだ母でありながら
他人の子供を平気で食らう怖い女性でした。
お釈迦様が、彼女の一番愛した末の子供を隠し、嘆き悲しむのを見て、
これまで食べてきた子供たちの親の悲しみを教え仏教に帰依させ、仏法の神
としました。
鬼子母神は、片手に子供、片手にザクロを持っています。お釈迦様がほかの子供を
食べないように、持たせたと言われています。

厳しい時勢では普通の人でさえ、鬼子母神の元の姿になってしまうのかもしれませんが。

木精舎 裕子作

更新情報にはもれていますが、『今月の花』がとてもさわやかな色合いです。
赤い実がたわわなピラカンサスと青空が鉛色の冬空と一味違うすがすがしさです。
Dr.カーバチ』と共にご覧ください。

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