♪名前〜それは〜燃えるいのち・・・


2010年5月18日

人間に一人ずつ名前があるように、植物にもそれぞれ名前がついています。
見知らぬ草花も名前を覚えることで、ぐっと身近になります。
たいていの人が知る「サクラ」や「チューリップ」から、
あまり知られていない花の名前を覚えていくと
これまで、見向きもしなかった花が、急に
輝き始めます。それはちょっとした楽しみにもなります。
そんな面白さを最初に教えてくれたのは母でした。
随分昔、ちょうど今頃、我が家の庭先に、少し幅の広い葉に筋の入った、
茎に赤紫の小花がいくつもついた花が、群れて咲いていました。
ある日母が「この花の名前を知っている?」と聞きました。
私が「知らん」と答えると、母は「よく知っているね!」と言うのです。
キョトンとする私に、「この花は『シラン』というのよ」と言いました。
幼い私の頭では『シラン』を『紫蘭』に変換できませんでしたが、
そのなぞかけのようなやり取りと、
小さいながら凝ったつくり(まさに蘭です!)の花の名前を
すぐに覚えてしまいました。
当時シランが咲く季節になると、私は、近所のおばさんに
「この花の名前知っている?」を連発して、「知らん」と言わしめ、
最後は「ヘェーっ」と感心させることにはまって?いました。
ただごく稀ですが、「ワカラン」と答えられて、うろたえることもありましたが。
あれから半世紀近く、名前を覚える度に、自分の中の植物の世界が
広がるような、面白さを感じています。

見方が変わると・・・


2010年5月9日

初夏です。
花々のカラフルさとは一味違った、柔らかな緑の季節です。
このさわやかな季節。私たちの仕事の上では「除草」の
時期でもあります。仕事目線で風景を眺めると、
あちらこちらに生えている雑草は
(早くしないと、より茂る)という焦りの気持ちも加わって
どうしても『やっかいもの』に見えてしまいます。
これが、ゆっくりと散歩しながら見ると、
育ち始めた草もまだ柔らかく、風にゆれるさまも
普段感じるストレスとは逆の心地よさまで感じます。
さらに、もう少しズームしてみると、
いろんな種類の草に気づきます。
30年以上前に覚えた記憶を頼りに、見ていくと・・
イチゴツナギ、キュウリグサ、ニワゼキショウ、ナギナタガヤ、
カゼクサ、カラスムギ、カモジグサ、カタバミ、ムラサキカタバミ
ヒメコバンソウ、コバンソウ、ハハコグサ、オランダミミナグサ、
ハコベ、ヨモギ、ハルジオン、ナガバノギシギシ、カナムグラ
マメツブウマゴヤシ、オニタビラコ、タチイヌノフグリ
カラスノエンドウ、スズメノエンドウ、カスマグサ、
ノゲシ、ヤブジラミ・・・
頭の中に浮かぶ昔の記憶の名前と実物を照らし合わせていくうちに
いつの間にか、草むらは植物標本の場になっていました。
セイヨウタンポポの茎やカラスノエンドウ、スズメノテッポウの笛。
ヒメコバンソウやメヒシバ、オヒシバのかんざし。
ペンペングサで作った音。
ムラサキカタバミやオオバコの茎を引っ張り合って競い。
カヤツリグサの茎を二人で持って上手に裂いて蚊帳を作り。
子供時代の草は、遊びの道具でもありました。
行き着いた広い公園の、きれいに刈り込まれた
草地を見て、最後はやはり『除草』の文字が浮かんでしまった
休日でした。

ゴールデンウィーク


2010年5月3日

どこへ行っても人込みのようです。
高速道路の渋滞情報をながめて、遠出する人は
大変だなあと最初から他人事です。
それなのに、昨日は思い切って、夕方美術館に行きました。
その時間帯なら混雑を避けられると思ったからです。
予想していた閉館時間が延長されていたので、
意外に人は多く、それでもたぶん日中よりは、
大勢の人の頭越しではなく絵をみることができました。
長谷川等伯展です。没後(享年72歳)400年特別展覧会です。
そんな昔に描かれた絵なのに、作者の渾身のエネルギーが
見るものに迫ってきます。
若い時代の細密な絵も驚きでしたが、
年代が上がるごとに、シンプルになって、最後は色まで
も、墨という白と黒の濃淡だけになっていきます。
加えて、描かれた「もの」ばかりではなくて、
霧とか、風とか、見えないものまで伝わってくるのです。
つい植物に目がいきます。
カイドウサクラや、ヤブカンゾウなどはとても写実的でした。
ススキや、ハギ、松、柳、梅など、樹形や葉はとても
デフォルメされているのに、実物以上?に「そのもの」の
雰囲気が伝わります。
その後、これもまた、終了時刻延長の清水寺に行きました。
美術館から歩いて行ったので、有名な坂道ではなく、
大谷本廟という巨大な墓地(親鸞上人のお墓がある)群の
間の道を登って行きました。都会の公園墓地ではなく
山あいの広大な面積に、墓石が詰まって累々と並ぶ景色は
無機質というか、古いものなのに、宇宙基地みたいな
不思議な光景でした。道筋の墓石の背中に刻まれた元号に
「文久」が比較的目につきました。幕末混乱期に建立されたようです。
さすがに、人気はありませんでしたが、人恋しくなって、
清水寺についたときはホッとしました。
後数10分で終了というのに、次々と人が上がってきました。
夕日を背景にシルエットで味わった京都でした。

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